「18歳キャバ嬢で家族を養う」高校中退から始まった浜田ブリトニーのジェットコースター人生
高校3年生で家出をし、キャバクラで働き出した漫画家の浜田ブリトニーさん。実家に仕送りをしたり、トリマーの専門学校に通ったり、紆余曲折を経て漫画家になる決意をするまでの道のりとは?(全5回中の2回) 【画像】これぞ平成!ガングロギャル時代の浜田ブリトニーさん ほか(全12枚)
■高3の始業式に退学届「錦糸町のキャバクラへ」 ── 漫画家になるまでは、キャバクラなどで働いていたそうですね。どんな経緯があったのでしょうか? 浜田さん:高校3年生の始業式に、「東京に行きたい」「自力で稼ぎたい」と思って退学届けを出したんです。誕生日が4月7日で18歳だったこともあり、家出してキャバクラで働くことにしました。
── 高校を辞めて家を出ることに、ご両親は何か言っていましたか? 浜田さん:兄がヤンキー世代ですごく自由に生きていました。両親も兄で耐性がついていたみたいで、私が家を出ることを、それほど大きな問題としてとらえてなかったみたいです(笑)。 でも、いきなり都心に行くのも怖くて…。最初は錦糸町のキャバクラで働くことにしました。寮があったから、そこで生活できたのも大きかったです。 ただ、そこはキャバクラというよりもクラブ寄りだったんです。お店のママには、礼儀作法とかをものすごく厳しく教えられました。
── 錦糸町で働いたのはどれくらいの期間だったのですか? 浜田さん:1年くらいです。錦糸町のお店でも稼いでいたんですが、働いているうちに「君はギャルだし、池袋とか新宿とかのほうが合ってるよ」とお客さんに言われてお店を移りました。 そうしたら前に比べ、びっくりするくらいラクでゆるかったんです。新宿や池袋で働いたあと、六本木に移りました。六本木が一番長かったですね。ちゃんと計算していないけど、当時は月に数百万円稼ぐこともありました。でも、お金を稼いでも使い道がないんですよ。だから、毎月親にも仕送りをしていました。
── それは親孝行ですね! 浜田さん:父は自営業で広告代理店みたいなことをしていたんですが、体調を崩して入院をするようになって…。仕事もうまくいかなくなってしまったんです。 だから、ずっと私が家族の大黒柱になっていました。キャバクラで働いているときは基本的には寮生活をしていました。