「この20年、気持ちが晴れたことはない」新生児取り違え被害者、“生みの親”を探し続けた孤独な戦い…「3億円の損害賠償請求」に「約10万件の名簿購入」も
3億円で損害賠償請求
ところが、実親探しは難航した。 まずはじめに、江藏さんは東京法務局や墨田区役所などの行政に出向いたものの、とても協力的ではなかった。かろうじて当時、住民基本台帳(住民票を編成したもの)を閲覧できたので、約35万人分の台帳から、同年同月に生まれた約70人を調べ上げた。その70人を回って出生の情報を聞き、自分と取り違えられた可能性がないかを調べ上げていった。 それでも該当者は見つからず、次は名簿業者から同年同月生まれの名簿を購入した。1軒あたり数十円から百円ほどかかる名簿だが、江藏さんは有り金をはたき、10万件近い名簿を買い漁った。しかし、それらはすべて使えない名簿で、電話しても不通のものや、所在がないものだった。 ときには、当時の墨田病院に勤務していた医師の情報が入ることもあった。そうしたときは毎回、遠方まで出向いて面会を申し込んだものの、決まって門前払いを食らった。 そして2004年、江藏さんは不法行為による損害賠償を求めて東京都を提訴することに。もちろん損害賠償が認められるに越したことはないが、1番の目的は実親やその家族が名乗り出てくれることだった。 この年の10月、莫大な印紙代を払って提訴の告知をし、法外な3億円という損害賠償請求に踏み切った。世間からの注目を集めるためだ。結果的にメディアからの報道は相次ぎ、一審では取り違えがあったことが認定され、二審では都から2000万円の賠償金も支払われた。 しかし、江藏さんにとって、過失が認められ勝訴しても気持ちは晴れなかった。肝心の実親が現れなかったからだ。
「ハッピーエンドを迎えられるとは考えていない」
勝訴してもなお対応を変えない行政に対して、行き場のない怒りが膨らむ一方だった。また、戸籍受付帳を開示請求して申請が通っても、個人情報保護法の観点からすべて黒塗りだった。目の前に核心に近づく資料があるにもかかわらず、不可解な理由でアクセスできないことのやりきれなさが募った。 「行政は決まって『取り違えられた相手の家族の平穏を乱す』という理由で対応を却下するんです。それなら私たちの家族はどうなるのでしょうか。私や両親の年齢を考えれば、もう残された時間は少ないのに、それをただ指を咥えて待ち続けないといけないのでしょうか」 江藏さんは現在66歳、育ての父は2018年に亡くなり、母は認知症で会話も難しい状況だ。そして実親も同等の年齢だと考えたら、江藏さんの出自を知りたいという願いは着実にリミットを迎え、もしかしたらすでに叶わぬ願いとなっている可能性も否めない。 「もうかれこれ20年、実親とその家族を探し続けているので、必ずしもハッピーエンドを迎えられるとも考えていないんですよ。仮に見つかったとしても、相手方に会いたくないと断られる可能性もある。ただ、今後も死ぬまで、自分の本当の出自を探し続けていきます」 取材中も、江藏さんは表情を表に出すことなく、淡々と事実を話し続けている姿が印象的だった。ただそれは、江藏さん自身が、現実を生きている感覚が薄いからではないかとも思えた。血縁関係のある家族や、その先に会得できるアイデンティティがあると常に願っているからこそ、現実を生きている自分が揺らいでしまうのかもしれない。 江藏さんは現在、生みの親を特定する調査を行わないのは人権侵害だとして、再び東京都を提訴した。「子どもの権利条約」が定める「出自を知る権利」を侵害しているとして、改めて主張を変えて、2021年11月から闘い続けている。 2024年9月4日には口頭弁論の期日を迎えた。法廷に立った江藏さんは、意見陳述で他の取り違え当事者と接触した際のエピソードも明かした。 「その男性が取り違えの当事者と知ったのは60代のときで、すでに生みの親は亡くなっていたそうです。ただ、実の弟から両親の生い立ちやエピソードを聞いたり、一緒に麻雀や旅行に行くなどして親交を深め、自分の人生を取り戻しているということで、とても羨ましく思いました」 もちろん江藏さんも、実の家族との交流を望んでいる。その願いは、至極細やかで当たり前のものだが、20年もの時を経ていまなお叶っていない。 「(実の両親を探す)手がかりになる情報が、墨田区に保管されているにかかわらず、東京都はなにも動こうとしません。それはまるで、品物を盗んだ泥棒が、悪事がバレているのに返そうとしないようなものです。盗んだものは、本当の私を知るための人生そのものです。私が何者であるかを知るための手がかりです」(意見陳述より) 今は両親もいない実家で、1人で生活しているという江藏さん。少しでも希望の光が差しこんでほしい。 取材・文・写真/佐藤隼秀
佐藤隼秀
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