「この20年、気持ちが晴れたことはない」新生児取り違え被害者、“生みの親”を探し続けた孤独な戦い…「3億円の損害賠償請求」に「約10万件の名簿購入」も
14歳で実家を飛び出す
こうした相反する感情を抱いていたのは、江藏さんの幼少期が関係している。 「父は都電の運転手をしており、家に帰ってくるのは不定期でした。しかも、帰ってきたとしても、たいてい酔っ払っていたんです。そしてなにかあるたび、暴力をふるいましたが、殴られるのは決まって私のみで、弟はなにも危害を加えられなかった。自分だけ家族から疎外されていると感じる瞬間があったんです。 他にも、正月に親族で集まるときには、従兄弟から軒並み『両親と顔が似ていない』と指摘され続けました。おまけに私の身長は180cm近いものの、父は160cm、母は140cmと、明らかにおかしい点もありました」 そのうち定期的に当たってくる父との軋轢は深まり、江藏さんは逃げるように14歳で実家を飛び出す。それ以降は中学校にも通わず、焼肉屋やクリーニング店など住み込みのバイトを転々として過ごしてきた。 もちろん幼少期時代は、両親と血縁関係がないと知る由もない。しかし、窮屈な家庭環境ですごした江藏さんにとって、血縁の疑念が生まれてからは「自分と馬の合う実親が存在するのでは」と密かな期待感を抱いてきた。 「もし血のつながった実親に育てられていたら、自分が14歳のときに家を飛び出さず、義務教育を受けて普通に就職していたんじゃないか……。自分がたどってきた軌跡と、まったく違う人生を歩んでいたんじゃないかという想いが常に付きまとっていました」 どこか空虚な思いを抱えてきた江藏さんにとって、DNA鑑定の受診は待ちに待った好機であった。
DNA鑑定を聞いて、育ての両親と同居
そして前述の通り、医師から直接、衝撃的な結果を告げられた。 このとき江藏さんは46歳。父は「今さら血縁のある息子と会ってもしょうがない」と、弟は「兄貴は一人で充分だ」と、今までの生活を変える気はないとその結果に取り合わなかった。 そして江藏さん自身も、血縁関係がないと判明したことで、不思議と両親に親孝行すべきだという気持ちが強くなった。当時、江藏さんは福岡で自動車関係の事業を営んでいたものの、事業を畳んで実家の東京に戻った。14歳まで育ててもらった恩返しをしようと、父母と共同生活を送ることにしたのだ。 しかしそれでも、育ての親に孝行したい気持ちとはまったく別に、自分の真の出自を知りたいという気持ちは収まらなかった。そこで江藏さんは、育ての両親と同居しながらも、隠れて孤独に実親探しを始める。 いわばここから、江藏さんは育ての親のためにつくす息子をまっとうしながら、同時に実親を探し求めるという、自身のアイデンティティが乖離したかのような生活になっていく。
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