「体育の先生」と聞いてまずイメージするのは男性? 退役軍人を優先採用? 日本における体育の授業の成り立ちと変遷
体育の先生はスポーツのコーチっぽい?
もちろん、戦後70年以上経った現代では、その影響もだいぶ弱まり、軍人的な体育の先生のイメージはかなり薄まってきたように思います。確かに、思いっきり軍人みたいな先生は、ほとんどいないはずです。その変化にもさまざまな要因が考えられるわけですが、その一つの大きなきっかけは、体育の授業で行われる内容が、前章で述べたような体操中心から、現在のようなスポーツ種目中心に変化したことにあると言えます。 先ほど述べたように、日本の体育は、1945(昭和20)年の敗戦まで、基本的には体操科(戦時中は体錬科)として存在していました。そして、戦後の1947(昭和22)年の「新学制」の開始によって、そのような体育の在り方が大きく変わることになります。 みなさんも歴史の授業などで習ったと思いますが、戦後、日本はアメリカの主導によって、社会のさまざまな場において民主化が図られました。もちろん、そこには学校教育も含まれていました。体育の授業における民主化政策の目玉となったのが、体操中心からスポーツ種目中心への変更であったと言えます。 戦時中の日本では、敵国であった欧米のスポーツを行うことには制限がありました。有名なところでは、敵性語として英語が禁止されたため、野球の「ストライク」を「よし」と言っていたことや、「三振」を「それまで」と言っていたことなどがあります。だからこそ戦後は、むしろその欧米の民主的な文化と精神を象徴するものとして、体育の授業にスポーツ種目が多く取り入れられるようになったわけです。 そうなると、体育の授業で子どもたちが見る体育の先生の姿も、戦前戦中と戦後とでは、ガラッと変わることになります。つまり、戦後の体育授業においては、さまざまなスポーツ種目を教える先生、すなわちそれは、ほとんどスポーツの「指導者=コーチ」のような存在として見られるようになったと言えます。そして、その「コーチ的」なイメージは、今日においてもそのまま受け継がれています。