朝日新聞「池上コラム」問題でも注目 新聞社における「経営と編集の分離」の原則とは?
福島原発事故をめぐる「吉田調書問題」などで揺れた朝日新聞は2014年末、「再生」を誓いました。信頼回復の柱とされたのが「経営と編集の分離」。古くて新しい「編集権」の問題は、他のメディアにも共通する論点でもあります。「編集権」問題を考えてみました。
朝日、「経営と編集の分離」を宣言
朝日新聞は12月26日に公表した「第三者委員会の報告書に対する朝日新聞社の見解と取り組み」の中で、今後は経営と編集の分離を明確にするとうたい、こう著しました。 「経営陣は編集の独立を尊重し、原則として記事や論説の内容に介入することはしません」「経営に重大な影響をおよぼす事態であると判断して関与する場合には、関与の責任が明確になるよう、ルールをつくります」 こうした判断の背景には(1)8月初旬の慰安婦問題検証紙面をつくる際、当時の社長らから異論が出て「おわび」を掲載しなかった(2)いわゆる「池上コラム掲載拒否」は当時の社長が掲載に難色を示したためだった─といった事情があったとしています。企業トップが「会社の危機管理」を優先させて編集現場に介入したため誤りを防ぐことが出来なかった、と結論づけたわけです。 これは、「経営側は原則、編集現場に口を挟むべきではない」という言葉の裏返しであり、「紙面や番組を編集・編成する権限はだれが持っているのか」という問題につながっていきます。 いわゆる「編集権」問題は、この点が焦点です。
新聞協会の「声明」と時代背景
編集権に関する見解としては、日本新聞協会が1948年3月に出した「編集権声明」が知られています。 それによると、編集権は「編集方針を決定施行し…新聞編集に必要な一切の管理を行う職能」と定義。権限行使の「最終的責任は経営、編集管理者に帰せられる」から、編集権の行使者は「経営管理者およびその委託を受けた編集管理者に限られる。新聞企業が法人組織の場合には取締役会、理事会などが経営管理者として編集権行使の主体となる」と規定しています。 日本の報道界はおおむねこの考えを受け入れ、長年、「編集権の独立」をうたい、政治や行政などの介入を拒む際の拠り所としてきました。 ただし、新聞協会の「声明」が出された時の時代背景を知っておく必要があります。 声明が出たのは、GHQによる占領時代です。GHQは終戦直後、「プレスコード」を発して報道検閲を行い、連合国に批判的な報道や論説を許さない一方、日本の軍国主義解体の一環として新聞の「民主化」も進めます。その結果、労働組合が事実上、新聞社の権力を握り、GHQの意に沿わぬ形で「民主化」が進む例も出てきました。労組が左傾化した読売新聞はその典型です。 新聞協会の編集権声明はそうした最中、GHQ主導で制定されました。そのため、過度の労組支配を排する目的もあって、編集権は「経営者」「編集管理者」、つまり「経営側に属する」とされたわけです。 この結果、報道各社の組織内部においては、編集権は「経営側のもの」「記者から見れば業務命令」という形で浸透していきました。 それでも労組の力が強かった1970年代末ごろまでは「編集権は現場にある」との意見もあり、編集局長らの指示に従おうとしない例も少なくなかったようです。とりわけ、ベトナム戦争をめぐるテレビ番組の「放送中止事件」などが多発した70年前後は、「政権→報道の経営陣→報道現場」という形で「介入」があったとされ、「編集権の独立」をめぐる激しい議論が報道界で続きました。 一方、過去のこうした議論は、部数増が続く「新聞の黄金時代」だったからこそ、成り立っていた面もあります。事情は「広告」も同じでした。ある有力紙は80年代末まで長らく、自衛隊に関する広告の掲載拒否を続けていましたが、それが可能だったのも、広告の掲載希望が引きも切らなかったからと言えるでしょう。