「勝ち組」人生を送っていたのに突然僧侶に 西行法師「出家の謎」を名歌から読み解く――寺澤行忠『西行 歌と旅と人生』を読む(レビュー)
●著者の「西行愛」が読み手にも伝染する
ポイントの三つめです。文芸評論でやはり私が大切だと思っているのは、その対象となった人物の著作物を読んでみたくなるかどうかということです。本書を読んで、私はもっと多くの西行の歌を知りたいと思うようになりました。 本書にも184首の歌が解説とともに収録されていますが、西行は生涯で約2300首の歌を残したと言われています。ですから、本書の読後は、そのすべてが収められている『西行全歌集』(岩波文庫)にあたってみるのもお勧めです。 たとえば、その中で、桜を詠んだ歌が、1割以上になるといいます。それを読んでいけば、日本人がこよなく愛する「桜」という花について、より思いが深まるかもしれません。 加えて、本書の著者・寺澤行忠さんの「西行愛」に、私は心打たれました。それこそ本書の読みどころの最たるものなのかもしれません。 詳しくは、本書の「おわりに」を読んでいただければよくわかりますが、寺澤さんは西行歌集の校本をつくるのに、およそ30年もの月日をかけています。 ごくごく簡単にご説明すると、西行の歌については、現在、京都の陽明文庫に所蔵されている『山家集(さんかしゅう)』の写本が最善の本とされています。しかしながら、この陽明本にも不備がある。なぜ不備が生じたのでしょうか。 たとえば「はる」という言葉と「はな」という言葉があります。これが仮名で記されていた時期があり、それを写しとっていくときに、「る」と「な」は形が似ていますから、写し間違いが起こってしまった。それが綿々と伝わってゆき、陽明本もその間違いを踏襲してしまっている。陽明本は信頼も高く、研究者もそれをもとに意味を読み解いていく。その結果、誤った解釈が生まれたということです。 ひとつだけ、実例を紹介します。 「おぼつかな 花は心の 春にのみ いつれの年か うかれ初めけん」 この「花は心の 春にのみ」は、「春は心の 花にのみ」でないと、意味が通らない。そうした誤りが、陽明本には約200箇所あるそうです。 寺澤さんは、従来軽視された流布版本と対照させて、逐一正確なものに改めていきました。この労力たるや、いかなるものだったのか。研究者とは、かくあるべし。学者魂、ここに宿る。本書を読み終えて、私はそのことを思い知りました。 ちなみに、『西行全歌集』の校注者である久保田淳さんは、本文校訂に際して、「寺澤行忠氏のお仕事に負うところがある」と、同書解説で述べています。 最後に、寺澤さんの言葉を引いて終わりたいと思います。 「校本の作成は、およそあらゆる学問の中でも、これ以上地味な分野はあるまいと思われるような仕事であるが、そうした単調ともいえる研究生活の中で、対象が西行の歌であったことは救いであった。作業をしながら西行の歌を、じっくり読み味わうことができたからである。そのようなわけで、こうした基礎研究に思わぬ長い時間を費やしたが、もともと西行の人間と文学に強く惹かれるものがあって西行研究を志したのであり、ここでもう一度初心に立ち返り、西行を愛好する一般の方々に読んでいただけるものをと、このような小著の執筆を思い立ったのである」 寺澤さんの西行への愛が詰まった『西行―歌と旅と人生―』(新潮選書)、ぜひ皆さんにもお読みいただければと思います。 [レビュアー]明石健五(『週刊読書人』編集長) 早稲田大学在学中から自主製作で8ミリ映画を製作。卒業後、映像製作会社、公益社団法人等に勤務。二度の引きこもり生活を経て、1996年、株式会社読書人入社。2011年から編集長。1965年、東京生まれ。 協力:読書人 週刊読書人 Book Bang編集部 新潮社
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