「勝ち組」人生を送っていたのに突然僧侶に 西行法師「出家の謎」を名歌から読み解く――寺澤行忠『西行 歌と旅と人生』を読む(レビュー)
●時を超えて日本人の心を動かす「歌の力」
ポイントの二つめです。一つめと大いに関わることですが、日本人は、折々に触れて、歌を詠んできました。それは、今に名を残す貴族だけではありませんでした。 たとえば、古今和歌集に収められている1100首の歌のうち、約4割が「よみひとしらず」、作者不明となっている。この中には、貴族も入っているでしょうが、おそらく、そうではない人も入っているのではないかと思います。 かくも日本人は、和歌というものに、自らの思いを乗せて、物事を語ろうとしたわけです。現代を生きる私たちの中にも、その血が脈々と流れている――本書を読むと、そのことがよくわかります。和歌というものは、なんとなくとっつきにくい、意味がよくわからない、そんなイメージを強く抱いている人も多いと思いますが、本書を通読すると、決してそうではないことがわかります。 もちろん、元の歌を一度読んだだけでは、なかなか理解しづらい。けれども、寺澤さんの導きによって読み進めていくうちに、次第に意味がわかってくる。言葉に表された、表向きの意味だけではなく、詠み人が――この場合は西行になりますが――その歌に込めた思いまでが、感じ取れるようになってくる。そのような一書だと思います。 したがって、日本語という言葉の強さ、奥深さを知る上でも、本書は、最適だと思います。 かの有名な松尾芭蕉も、次のような一文を残しています。有名な言葉です。 「西行の和歌における、宗祇(そうぎ)の連歌(れんが)における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫通する者は一(いつ)なり」 芭蕉は、こよなく西行を愛し、その影響を受けていました。芭蕉の句に、次の一句があります。 「哀れいかに 宮城野のぼた 吹きしおるらん」(ああ、どんなにか宮城野の萩はふきしおれているだろうか) これは、西行の次の歌の本歌取りになっているといいます。 「あはれいかに 草葉の露の こぼるらむ 秋風立ちぬ 宮城野の原」 このように、芭蕉が「西行の歌から発想を得た句や言葉は、枚挙にいとまがない」と寺澤さんは言います。『芭蕉辞典』によると、西行の影響下に読まれた芭蕉の句は、75例もあるそうです。 西行と芭蕉の生きた時代のあいだには、500年という長い長い歳月が流れている。しかし、言葉は死なない。人々のあいだで、脈々と受け継がれ、芭蕉の中で、また違った俳句という表現を通して、新たに花開く。そうした力を、日本語という言葉は持っているということが、 本書を読み解いていくと、よくわかります。 そして、その歴史の一番突端に、私たちは生きているということを、しみじみと感じることができます。現在NHK大河ドラマ『光る君へ』を見ていても、重要なシーンで必ず歌が出てきます。おそらく、今後もそうなるでしょう。歌を知ることによって、こうしたドラマを より身近に楽しむことができるようになるのではないかと思います。