渥美二郎が50年ぶりに再会した演歌師時代の仲間と新曲を発表!「歌も人生も全部が松尾芭蕉の言葉『平生すなわち辞世なり』」
16歳から演歌師としてのプロの道に入り、1978年発表の『夢追い酒』が大ヒット。昭和54年度日本レコード大賞ロングセラー賞をはじめ、多くの賞を受賞し同年第30回NHK紅白歌合戦に出場した演歌歌手の渥美二郎。彼の「THE CHANGE」とはーー。【第2回/全2回】 ■【画像】渥美二郎・梶原あきら『千住ブルース』 僕も自らキャンペーンを買ってでましたよ。やっぱり、選挙と同じで、とにかく一人でも多くの人に知ってもらわないと。黒地に赤い文字で名前が入ったジャンパーを着て、ポケットには常に歌詞カードを入れて、新幹線や飛行機に乗ったら、周りのお客さんにじゃんじゃん配りました。レコード屋回りに行くときは、大抵一人。お店の人も「大変ですね」って、店内で曲をかけてくれたり、売り上げランキングの上位に入れてくれたり。給料が5万円だったけど、それ以上につぎ込んでいろんなところに行きましたよ。 そのうち有線から人気に火が付いて、全国で一日に何百枚が売れれば良い時代に何千枚のヒットとなって、プレスも追い付かないくらいになったんです。地道に種を蒔き続けた結果だったと思いますね。 今回、4年8か月ぶりの新曲『千住ブルース』を出すことができました。そのきっかけになったのは今年の2月に掛かって来た、今回のデュエット相手、梶原あきらからの一本の電話でした。 僕が千住の街を演歌師として回っていた頃、一緒に歌っていた10代の若者がいて、それが彼だったんです。でも、5年ぐらいやって故郷の石巻に帰ってしまって。まあ、入れ替わりの激しい稼業ですから、それっきりだったんですけど、今年2月に電話がありまして。「地元でチャリティーイベントをやっているんだけど、今度ゲストで出てくれないか」と。彼は、故郷で歌い続けていたんです。嬉しかったなあ。それで、50年振りにこうやって再会できるなんて……と、二人とも泣き出さんばかりでしたよ。
人生を振り返ると、“情”の大切さを痛感
それからはトントン拍子に一緒にレコードを作ろうって話になって、以前僕が“千寿二郎”ってペンネームで書いた『千住ブルース』の詩の世界観が、梶原の生き様そのままだったので、これをやろう! ということになったんです。もう70歳を超えたから、体を大事に好きな歌をのんびり歌っていこう……なんて、のんびりした気持ちだったんですけど、梶原と再会して、エネルギーがグワッと湧いてきましたよ。 こうやって、これまでの人生を振り返ると、“情”の大切さを痛感しますね。500円払ってくれたお客さん、気に入ってくれたホステスさん、レコードをかけてくれたレコード屋の店員さん……やっぱり、人って“情”で生きていると思うんです。僕自身も好きなことをやって、これまでこれたのも“情”のお陰ですよ。 僕が育った千住は、江戸時代の俳諧師・松尾芭蕉の紀行文「奥の細道」に出てくるスタート地点となった街なんです。その芭蕉の言葉で「平生すなわち辞世なり」というのがあります。平生って、日頃って意味なんだそうで、死を前にした芭蕉が弟子に、日頃から、これが最後だと思って作っているから、いまさら辞世の句なんて必要ないと弟子たちに言った言葉なんだそうです。 この言葉通り、歌や人生も全部がそうだなって思いますね。カッコいい言い方をさせてもらうと、どんなステージも、そのステージが自分にとっての最後だと思って、すべてを絶好調なレベルにまで準備して、お客さんに「良いステージだったなぁ」って思ってもらえるようにしたいです。 今日のこのインタビューも、自分にとって最後のものになっても良いように、大事な話は全部話したいなって思っていますよ。だって、志半ばで他界した仲間もいっぱい見てきたから。「今日が最後」って思って、明日も生きますよ。 渥美二郎(あつみ・じろう) 1952年8月15日、東京都生まれ。16歳から演歌師としてのプロの道に入る。1978年発表の『夢追い酒』が大ヒット。昭和54年度日本レコード大賞ロングセラー賞をはじめ、多くの賞を受賞。同年第30回NHK紅白歌合戦に出場。95年から阪神・淡路大震災救済コンサート「人の会」を主宰し、毎年開催している。 THE CHANGE編集部
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