「悔しさをエネルギーに変えて成長」【前編】 箱根駅伝〝三代目・山の神〟が振り返る快進撃の背景/神野大地(青学大ОB)
「1度でも箱根に出ること」が目標だった
――箱根駅伝に憧れを抱いて以降、走りたい区間などの目標や夢がありましたか? 神野 箱根に憧れを持つようになったのは、やはり原監督と出会ったことがきっかけですが、僕が入る当時の青学はちょうどシード権を狙えるチームだったので、言い方は悪いかもしれませんが「青学だったら、がんばったら4年間で1回は箱根駅伝に出られるかな」という思いで入学を決めました。 ――では、特に何区を走ってみたいといった目標もなかった? 神野 そんな目標もなくて、ましてや2区や山上りの5区を走るなど1ミリも考えていませんでした。 ――その2区でしっかり走り切れたわけですから、自身の成長を実感できました? 神野 そうですね。自分の役目を果たせたという思いはあったので、その経験をプラスにできましたし、2年生の箱根駅伝(チームは総合5位)を終えた後に、1つ上の先輩たちが「次は優勝を目指そう」というチームの目標を掲げた時に、自分もそれを目指していきたいという思いで3年目をスタートしました。 5区を走るきっかけとは? ――そして、3年目の箱根駅伝では5区で大活躍してチームを初優勝に導きましたが、山上りの5区を走ることになった経緯は? 神野 最初の箱根駅伝で2区をしっかり走れたことで、原監督から1年間、「次も2区だよ」と言われていた中、11月中旬、5区候補だった1年後輩の一色(恭志、現・NTT西日本)の上りの練習の際、監督から「2区も最後に戸塚の上り坂があるんだから、神野も上りの練習に行くぞ」と言われて一緒に走ったのです。一緒といっても、秒差で僕が先にスタートし、一色が僕を抜くはずの練習だったのですが、僕がめちゃくちゃ速すぎて、どんどん差が開いていったんです。ゴールした瞬間、原監督が興奮した口ぶりで「神野、お前は2区じゃなくて5区だ!」と言ってきたんです。僕としては「それほどいい走りをした感じがなかったのに、そんないいタイムが出たのなら、レース当日ならもっと行ける。区間賞は狙えるな」という手応えがありましたね。 ――当時の5区は今より2km以上長い最長区間で、タフな上りがあるのはもちろん、強風や寒さも影響して大ブレーキなどのアクシデントは珍しくなく、そこでの走りの良し悪しが大きな差につながる非常に重要な区間でしたが、プレッシャーなどありませんでしたか? 神野 5区を走ることが決まってからは、自分の中で「〝山の神〟になりたい」という気持ちもどんどん芽生えてきていましたし、チームが優勝を目指している中、「僕が2区よりも5区を走ることでその目標に近づくなら全力で行こう」という前向きな気持ちになれましたし、日に日に「5区で最高のパフォーマンスを発揮して優勝に貢献する」というイメージを膨らませていました。