松井大輔「35歳からはずっと、自分らしい終わり方を探す旅だった」
――その後、グルノーブルに復帰するも、クラブが破産し、プロ選手を契約できない4部へ降格したことで、2011年夏にはディジョンへの移籍。ブルガリア、ポーランドを経て、Jリーグへ復帰しました。 「自分のサッカー人生を振り返ると、山あり、谷あり。うまくいくこともあったけど、なかなかうまくいかないってことも多かった。どん底に落ちたこともあります。でも、それも自分の経験。悔しさもあるけれど、しょうがないと思うしかないこともあります。長い海外サッカー人生の中ではお金を払ってもらえないこともあったし、プレーさせてもらえないこともあった。監督とケンカすることもあったし、クラブ内の政治に巻き込まれたこともあります。そんなふうにいろんな経験をさせてもらったことは、糧になったなと思っています」 ――まさに日本で選手生活を送っているだけなら、できない経験も多いですね。もしかしたら、必要のない経験もあったのでは? 「どんな経験も必要ない経験はないと思っています。僕が過ごした国、出会った人が僕の人間性を形作ってくれたし、それが僕のサッカー人生です。そんな人生を振り返ったとき、 これから先、自分の道、自分らしい道を切り開いていこうと考えたとき、ドリブルや僕の経験を後世に伝えていくのが自分の使命」 ※2回目に続く 松井大輔/Daisuke Matsui 1981年京都府生まれ。2000年、鹿児島実業高校より京都パープルサンガへ加入。2004年アテネ五輪に出場し、同年秋、フランス2部リーグ、ル・マンUCへ移籍。以降、古豪ASサンテティエンヌ、グルノーブルと渡る。2010年W杯南アフリカ大会出場。ロシア・プレミアリーグのFCトム・トムスクへ半年間のレンタル移籍後、2011年フランスリーグのデジョンに在籍。ブルガリアPFCスラヴィア・ソフィア、ポーランド1部のレヒア・グダニスクを経て、2014年ジュビロ磐田へ加入。2017年ポーランド2部のオードラ・オポーレで再度の海外挑戦。半年後の2018年横浜FCに加入。2020年冬にはベトナムリーグサイゴンFCへ。2021年9月10日、Y.S.C.C.横浜フットサルと契約し、翌1月にはJ3のY.S.C.C.横浜への加入。サッカーとフットサルの二刀流に挑戦。2024年2月現役引退を発表。横浜FCサッカースクールコーチと、浦和レッドダイヤモンズのアカデミーのロールモデルコーチを務めている。
TEXT=寺野典子