「核なき世界」を…戦争を知らない世代へ 被爆者から記憶を語り継ぐ高校生 北海道
大村さんは4歳8か月のとき広島で被爆。 爆風で家を失い、家族とともに命からがら避難し生き延びました。 (大村一夫さん)「核というものの本質は何なのか、人間として使うべきではない。つくるべきではない。それをなんで気づかないのか、まどろっこしいし、悲しいし、腹立つ」 しかしいま、被爆者の活動は存続の危機にあります。
被爆者の高齢化で協会が解散へ
原爆の悲惨さを伝える遺品など、およそ100点の資料が展示されている札幌白石区の原爆資料館。 運営する北海道被爆者協会は2024年5月、苦渋の決断を迫られました。 (出席者)「被爆80年を前にして区切りをつけるというのは、申し訳ない気持ちと悔しい気持ちと両方ある」 (出席者)「寂しいなという感じがします。よりどころが…」
これまで大村さんら道内の被爆者は、原爆の脅威を証言してきましたが、会員の減少に逆らえず、2025年の解散を決めたのです。 広島や長崎で被爆し、道内に住む人は3月末時点で185人、平均年齢は86歳を超えました。 原爆の惨禍を証言できる人は減少の一途を辿っています。 (上坂芽生さん)「署名活動を行っています。ご協力お願いします」 大村さんは7月、署名活動を続ける上坂さんを訪ねました。
「語り部」の後継者に…高校生が送った1通のメール
(上坂芽生さん)「被爆後アメリカに何回か行かれた話を資料を読んでいて見たんですけど、もっとそこについて詳しく知りたいなと思って」 (上坂芽生さん)「内面的な被爆後の放射線とかの苦しみを伝えるというのも含めて、継承活動や語り部をしていると思うんですけど」 中学生のときに大村さんの被爆体験を聞いた上坂さん。
大村さんに1通のメールを送っていました。 “少しでも語り継ぎ、平和の輪を広げる一員に私もなりたい。私に被爆体験の伝承をさせていただけないでしょうか” (大村一夫さん)「ものすごくもらったメールはうれしかったですよね。語り部を語り継ぐことは自分はおこがましいけど目指したいという文章があったでしょ」 (上坂芽生さん)「すごく強くお話しされてくれたのを改めて思い出して、やっぱり大村さんの話を、強く生きた一人の被爆者の大村さんという人生を語っていくということに、ものすごく意味があることだなと思いました」