「地震で石川の皆さんのためにという気持ちが強くなった」…ヤクルト・奥川恭伸投手インタビュー
能登半島地震の発生から1年を迎えるにあたり、石川県かほく市出身でプロ野球・ヤクルトの奥川恭伸投手(23)が読売新聞のインタビューに応じ、地元への思いを語った。(聞き手・増田剛士)
――帰省中に自身も地震を経験した。どんな思いで被災地を見つめてきたか。
「親戚宅でだんらん中でした。津波警報が出て、高台に避難しました。(スマートフォンの)アラートが鳴り続け、余震が何回もあって、とても怖かった。道路はボコボコになり、実家は停電や断水もあった。被災後2日間しか石川にいなかったけど、それだけでもきつかった。家がつぶれてしまった人や、身内を亡くした人もたくさんいる。能登の皆さんは、今でもしんどい生活をされている。身近でこんなことが起こって、本当に何かしらの形で力になりたいという気持ちがいっぱいありました」
――自分ができることを自問自答するような時間もあったのでは。
「地震から1か月後にキャンプインして、『何としても』という気持ちだった。意気込んで臨んだけれど(腰のけがで)出遅れてしまい、1年間活躍しきれなかった。悔しさだけじゃなく、能登の人たちに対しても、申し訳ない思いがすごくありました」
――2021年に9勝を挙げ、チームの日本一にも貢献したが、2022年は右肘痛、23年は足首のけがで棒に振った。もどかしさを感じた月日だったと思うが。
「野球が仕事なのに野球ができない。何やってんだろうと。そういう気持ちでした。心ない言葉を(インターネットやSNS上で)言われ、つらい思いもたくさんしました。プロスポーツ選手である以上、仕方のないことだと思うけれど、絶対に活躍して見返してやる、という気持ちをずっと持っています」
――苦しい時期に支えになったものは。
「ずっと僕を支え続けてくれた人たちの存在です。石川に帰れば、いつも温かい声をかけていただいていたし、地元企業からは寄せ書きのメッセージもいただきました。本当に感謝の気持ちしかないです。地震があって、なおさら石川の皆さんのためにという気持ちは強くなりました」