今年はレアな「宮島さん」大合唱 カープ得点力不足で機会半減 歴史110年以上、ルーツは高校野球?
広島東洋カープの得点時にファンが合唱する「宮島さん」の希少性が高まっている。歴史的な得点力不足に悩む今季、歌える回数は1試合平均で2回余りと7年前の半数近くだ。実はカープの応援歌としての歴史は浅く、高校野球の強豪広島商などで110年以上前から歌い継がれてきた。広島の歓喜に寄り添う「ソウルソング」の原点を探った。 【グラフで見る】2024年プロ野球12球団の勝率と順位 優勝はどのチーム? ♪宮島さんの神主が おみくじ引いて申すには 今日もカープは勝ち勝ち勝ち勝ち カープファンなら誰しも口ずさみ、万歳三唱した経験があるだろう。阪神なら「六甲おろし」、巨人なら「VIVA GIANTS」。プロ野球の各チームには、ファンが得点の喜びを分かち合う歌がある。 しかし、今季のカープは1試合平均得点が3点に満たず、球団史上でも最少レベルで推移している。一度に複数の得点を挙げるケースもあるため、ファンが「宮島さん」を歌えるのは同2・4回程度に過ぎない。 強打でリーグ制覇した2017年の平均得点は5・2点。今季の複数得点パターンを当てはめると、1試合に4・2回は歌えていた計算になる。試合後、ふと物足りなさを感じるファンは少なくないだろう。 カープファンが「宮島さん」を応援歌に取り入れたのは35年前の1989年。誕生から80年近くも過ぎてからである。 宮島さんとはもちろん、広島県廿日市市の宮島にある世界遺産・厳島神社を指す。神社を手厚く保護して戦勝を重ねた平清盛や毛利元就にあやかり、必勝祈願に訪れる人がもともと多かった。 さらに宮島名物のしゃもじは、敵を「召し捕る(飯取る)」縁起物として知られる。応援歌には、うってつけの題材だったと言える。 始まりは替え歌であることに疑いはない。メロディーは1901年に発表された唱歌「花咲爺」(花咲かじいさん)そのものだからだ。 ちなみに1番の歌詞は「裏の畑でポチが鳴く 正直じいさん掘ったれば 大判小判がザクザクザクザク」。犬のお告げを神主の神託に、大判小判を勝利に置き換えたとも考えられる。 では替え歌が最初に生まれたのはどこか。郷土史研究家の渡辺通さんは82年に「ふるさとひろしま」で、神社を対岸に望む廿日市市の地御前地区が発祥だと主張した。 ハワイ移民が多かった旧地御前村では、1900年ごろにハワイ帰りの村民から野球が広まった。野球熱の高まりが、「花咲爺」をもじった応援歌を生んだのだろう。何しろ対岸には常に朱色の大鳥居が見渡せる地域だ。11年には歌詞の原型が完成していたという。 その後、地御前出身者から広島県内の中等学校(現高校)に伝わり、広島商では応援歌に定着。16年夏に初出場した全国中等学校優勝野球大会(現全国高校野球選手権大会)で、宮島さんも「全国デビュー」を果たすことになる。 歌詞はカープ版とほぼ同じで、「おみくじ引いて申すよう」「いつも広商は勝ち勝ち勝ち勝ち」の部分が異なる。当時の野球界に強烈なインパクトを与えたようで、大会記念誌でも応援ぶりが紹介されている。 広島商はちょうど100年前の24年8月、完成したばかりの甲子園球場で第10回全国中等学校優勝野球大会を初制覇する。甲子園では「六甲おろし」よりも一足早く「宮島さん」の大合唱が響いていたのだ。 球場にとどまらず、大阪駅や広島駅などでも披露されたらしい。当時の監督で、後にカープ初代監督となる石本秀一さんは「宮島の杓子(しゃくし)や御幣を中心に『宮島さんの神主が…』の応援歌がプラットホームも揺るがんばかりに高唱され」と回想している。 その後は広島商にとどまらず、ライバル広陵を含め広島代表の多くが甲子園球場で「宮島さん」を合唱するようになる。 カープ私設応援団連盟が応援歌に採用したのは89年。前年夏に広島商が6度目の甲子園制覇を果たし、秋には同校出身の大下剛史氏や三村敏之氏が1軍コーチに就任したことにちなんだとされる。正捕手は同校時代に全国優勝の経験を持つ達川光男氏だった。 今季のカープは9月に入って痛い敗戦が続いたものの、逆転優勝の可能性は残っている。6年ぶり10度目の歓喜をつかむには、打撃陣の奮起が不可欠。ファンによる「宮島さん」の大合唱が増えれば増えるほど、逆転優勝の可能性が高まることだけは間違いない。
中国新聞社