アグネス・チャン「すごい好きでした。初恋でした」 多忙なアイドル時代を支えた愛車との思い出
歌手のアグネス・チャンさん(67)が、これまでの愛車と共に人生を振り返りました。 香港で歌手デビューした後、1972年に来日したアグネスさんは、楽曲『ひなげしの花』で、日本でも歌手デビュー。“香港から来た妖精”と呼ばれ大ブレイクしました。歌手・エッセイスト・初代日本ユニセフ協会大使、教育学博士を取得するなど幅広い活躍を見せています。
■日本でデビューしたきっかけは平尾昌晃さん
来日して51年目となるアグネスさん。日本でのデビューの経緯について、「元々は香港の学校でボランティア活動として歌を歌っていたら、14歳でスカウトされて翌年に(香港で)デビューしたんです。よく分からないけど、デビュー曲がヒットして、(作曲家)平尾昌晃先生が香港の私の番組に出演してくれて、(日本でアグネスさんの)噂をしてくれたんです。それで、“日本に来ませんか?”とスカウトされました」と明かしました。 日本での活動について、当時のアグネスさんは、「新しい世界に行ける。外国に行けるという好奇心があった。母はミーハーなので応援してくれた。父には、すごく反対されたけど説得しました」と明かしました。
■デビュー曲『ひなげしの花』でトップアイドルに
アグネスさんは1972年、17歳の時に、日本でのデビュー曲『ひなげしの花』が大ヒット。日本歌謡界で、一躍トップアイドルにまで登り詰めました。そんなデビュー曲の歌詞について、アグネスさんは「後から知ったんですけど日本語を間違えていると。正しい歌い出しは、“おかの上”なんですよね。“おっかの上”じゃないんです。全然気づかなくて20年後くらいに、歌手・由紀さおりさんに言われて、もっと早く(誰かが)言えば直したのに」と、苦笑いを浮かべました。 また、日本のファンの熱量には驚いたそうで、「あの時代、香港では人気があるとしても、(ファンが)声を出して応援することはなかった。(日本では)歌にあわせて“ア~グネス!!”と言ってくれて最初は本当にビックリした。うれしいけど、自分が歌っている声が聞こえない…エネルギーがすごかった」と、振り返りました。 さらにデビューの翌年、上智大学に入学したアグネスさん。アイドル活動と学生生活の、二足のわらじについて「女子大生に憧れていた。本当に寝られなかった。いつも“何がしたい?”と言われたら、“眠りたい”と文句を言っていました。歌番組で人が歌っているときも、すごい頑張って目を開けていました」と、かつての多忙を極めた生活を明かしました。