アグネス・チャン「すごい好きでした。初恋でした」 多忙なアイドル時代を支えた愛車との思い出
■人気絶頂のなか、カナダへ留学
そして、デビュー4年目、疲労困ぱいしていたアグネスさんに助け舟が…「眠れない、食べられない、満足に学校に行けない、お友達ができていないという日本での生活を見た父から、“これは普通の女の子の生活じゃない。周りがちやほやして、自分が偉くなった気持ちになってはいけない。頭を冷やしてこい!”」と、父親から留学を勧められたそうです。 一方、アグネスさんの母親は留学に反対。それに対して父親は、“お金や名声は流れもので奪われるもの。でも一度 頭に入った知識は一生の宝”と、母親を説得したそうです。その言葉を耳にしたアグネスさんは、「なんて、いいことを言うんだろう」と思い、人気絶頂の中、カナダのトロント大学への留学を決めたと言います。
■留学中の愛車、アグネス・チャン「初恋でした」
留学中、通学のため現地で自動車免許を取得したアグネスさん。初めて購入した愛車が初代シビックでした。 1972年に登場した初代シビックは、FR(後輪駆動)3BOXカー(セダン)が主流だった時代に、国内に類を見ない台形デザインのFF(前輪駆動)2BOXカーで注目を浴びました。ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーで、国産車初の3位に入賞するなど数々の賞に輝き、発売以来わずか4年で、生産累計100万台を達成。国内外問わず、まさに“市民のクルマ”としての大きな1歩を踏み出しました。 初めての愛車との久々の再会に、アグネスさんは「超懐かしいです。抱っこしていいですか?」と、ボンネット部分をハグ。この車を選んだ理由について、「すごい人気があって、丈夫で長持ち、安全だし、(学校を)卒業して車を売るときに値段が下がらないということで、新車で買いました」と回顧。 シビックの思い出について、「カナダは大雪になると、車が完全に埋もれて見えなくなる。やっと見つけて(車の)鍵を入れようとするけど、鍵穴が凍ってしまって入らないの。口の中に鍵を入れて温めたりするけどダメだった。結局、他の人が“これ貸してあげる”と言って、貸してくれたのが、BOXのような電池を入れて鍵を温める道具。カナダでは常識だったみたいで、温めた鍵で何回かやるとやっと開くんですよ」と、寒冷地ならではの苦労を明かしました。 一方、シビックが活躍したエピソードも。アグネスさんは、「雪の日に他の車は坂道を登れないけど、私の車は小さくて4輪ともスノータイヤ、FFで前にエンジンがあるからオフロード車みたいに登れちゃう。周りが大拍手してくれてスゴイ自慢でした。“私の車はどこでも行けるんだよ!”と優越感がありました」と、愛車を誇りに思ったそうです。 久しぶりに愛車に乗車したアグネスさんは、「(車は)自分で運転すると自由って感じがする。1人だけでどこ行ってもいい。いつ行ってもいい。(音楽など)何を聴いてもいいし、止まって何を食べてもいい。(デビュー後は)そういうことができなかったの、 ずっと。この車が、すごい好きでした。初恋でした」と、愛車は心のより所だったと言います。