元巨人代表・山室寛之が明かす2004年球界再編の舞台裏 重なる偶然と思惑/寺尾で候
<寺尾で候> 日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。 【写真】山室寛之著書「2004年のプロ野球 球界再編20年目の真実」 ◇ ◇ ◇ ◇ 冬の日差しが入り込んだ。都内の日比谷公園内にある静かなカフェテラス。その窓際で、かつての東京読売巨人軍代表・山室寛之と会った。 「お忙しいところを恐縮です。お会いできてよかったです」 「大丈夫です。わたしもあなたには会っておきたかった」 そんな会話から始まった山室は『2004年のプロ野球 球界再編20年目の真実』(新潮社刊)という著書を上梓した。 20年前に起きた「事件」を綿密な取材で掘り起こした。読売新聞社の社会部出身らしく足で取材したネタを“点”と“点”をつないでいった。 「あの年はさまざまな偶然が重なって落ち着くところに落ち着いたのではないでしょうか。ただ記事を書くためには公益性、事実の裏付けが必要だと思っているんです」 著書では小売業最大手のダイエーが沈んでいくのが球界再編問題の序章になっている。そこで球団売却がささやかれ、後で現実になった。 当時のパ・リーグは経営危機に陥っていた。大阪ドームを本拠にした近鉄バファロースも赤字が続いた。そこにオリックス・オーナー宮内義彦が乗り出した。 「(近鉄を)いただきます…」 ライブドアが近鉄買収を表明し、選手会、ファンが反発、1リーグ制導入が進む状況下で、近鉄球団社長小林哲也は「(合併は)本社の問題」と強硬に突っぱねるのだった。 もはや球界再編の波動は収まらなかったが、さらに激しく揺れ動いたのは“堤発言”からだった。 「西武王国」のオーナー堤義明が26年ぶりにオーナー会議に出席しただけでも話題になった。それが「もう1つの合併」の進行を示唆したのだから騒然となった。 その会議を現場で取材していたが、ホテルに到着した堤が、わざわざ巨人オーナー渡辺恒雄を待って握手を求めた瞬間を目の当たりにした。 その光景は、トップ経営者たちが画策し、念願だった「1リーグ」を成就することを確認した固い握手だったようにみえた。 しかし、1リーグに移行すれば、セ・リーグでは、当時1試合1億円のTV放映権料が見込まれる巨人戦が削られて減収を強いられる。企業エゴが絡んで反対する球団もあった。 現場を取材していて奇異に映ったのは、阪神の水面下の動きだ。オーナーの久万俊二郎は、渡辺と直接電話をする間柄だったから右にならえの姿勢で、セ・パ両リーグが1つになることに同調していた。 しかし、阪神球団社長・野崎勝義は、1リーグ制導入の回避を訴え、セ・リーグ各球団に陳情に回ったのだから、阪神は一枚岩とはいえなかった。 一方パ・リーグは、「もう1つの合併」の進行を明かした西武堤が「パ・リーグが4つになれば、セ・リーグにお願いするしかない」と1リーグに固執した。 そして理事レベルでも、1リーグが失敗なら「パ・リーグを解散する」と決意を示した“血判状”のような極秘文書を作成する。 本の著者である山室は前に『1988年のパ・リーグ』(新潮社刊)で南海、阪急の身売りを中心にした著書も出版しているからパ・リーグが歩んだ歴史には大変詳しかった。 著書の中で山室は、読売グループ本社社長室次長兼法務部長・山口寿一の存在に触れている。現グループ本社代表取締役社長、巨人オーナーだ。 山口が球界参入する前に、六本木ヒルズにあった楽天本社で社長・三木谷浩史に球団経営をレクチャーした事実を突き止めているのは興味深い。 選手会が主導したストライキも収拾し、オリックス・近鉄の合併が承認された。新球団の楽天誕生、ダイエーはソフトバンクになって、球界に風穴が開いた。そして「セ6、パ6」の仕組みは維持された。 “球界のドン”だった巨人渡辺恒雄(読売新聞グループ代表取締役主筆)について、山室は「持ち上げられたというか、(パ・リーグは)渡辺さんに言えばなんとかなると思ったのではないでしょうか」という。 そして、深層に切り込んだ山室でさえも、まだまだ謎が多いともらす。 野球競技者の減少、メジャー流出で空洞化が止まらなくなった。赤字経営の体質は一変したかもしれないが、日本球界の行方は不透明と言わざるを得ない。(敬称略、肩書は当時)【寺尾博和】