<21世紀枠チカラわく>挑戦、努力…出場へのプロセスに学び 向陽 選抜高校野球 /7
「夢が突然、現実になった」。2010年の第82回センバツ大会の21世紀枠選出校・向陽(和歌山)の主将だった西岡俊揮さん(28)は当時の喜びを振り返る。21世紀枠は最終選考までに地区推薦9校に絞られるが前年の秋季大会の成績が重要な参考資料になる一般枠と違い、選考結果の予想が難しいだけに選出発表当日の喜びもひとしおだった。 粒ぞろいの選手たちを擁して、近畿大会に進出。和歌山県内有数の進学校であり「文武両道」が評価されての選出だった。喜びの半面、世間から21世紀枠としての注目ばかりが先行しているのを肌で感じ、「実力で見てほしい」と反発心も抱いていたという。 しかし、そんなもやもやした気持ちを吹き飛ばす出来事があった。初戦は大会第2日の第1試合。早朝に誰も足を踏み入れていないグラウンドに立った瞬間、足が震えた。朝日に照らされたスコアボードが目に飛び込んできて心が揺さぶられた。西岡さんは「地元の高校として愛されていた。その応援で聖地に立たせてもらっているということを荘厳なグラウンドに教えられた」と思い返す。 迎えた初戦の相手は前年の秋季中国大会を制した強豪・開星(島根)。序盤は腰が引けがちだったが、バッテリーを中心に守備を重視した野球を展開。2―1で白星を挙げ、実力を見せつけた。試合後、開星の野々村直通監督が「21世紀枠に負けるのは末代までの恥」と発言し物議を醸したが、当時選手たちは発言内容を特に意識することはなく、むしろ「世間からの脚光も浴びてチームとしては勢いに乗ることができた」。続く2回戦は敗退したものの、準優勝することになる日大三(東京)と大接戦を演じて世間を沸かせた。 「甲子園の出場はもちろん喜ばしいものだったが、出場までのプロセスで得た学びも大きかった。実現の可能性が低いことに全力をかけてチャンスをつかむ。挑戦と投げ出さない姿勢を学ぶことができた」と振り返る。 卒業後、人の成長にかかわりたいという思いから教員免許を取り、現在は和歌山市内の小学校で教職に就く。そして4年ほど前、勤務先の校長の誘いで県高野連の審判を始め、再び高校野球の世界に戻ってきた。これまでにジャッジした試合は100回を数える。選手から審判に視点が変わったことで野球の奥行きの深さを実感し、勉強する日々だという。 最近では小学校の教え子と球場で再会することもある。小学校の時はあいさつが苦手だった生徒が、高校生になったら大きな声で「先生!」と声をかけてくれたこともある。小学校教諭と高校野球の審判の二足のわらじを履くことで、子どもたちが成長していく姿に触れられるのがうれしい。「いつか教え子が甲子園のマウンドに立つことがあるかもしれない。そのときは最前列で応援しないと」と顔をほころばせた。【隈元悠太】 ◇初戦突破 2001年から導入された21世紀枠での選出校数は新型コロナウイルス禍で中止された前回大会の3校を含め20年までに54校を数え、13校が初戦を突破した。選考基準では地方大会で一定の成績を収めることが求められるが、「困難な状況の克服」や「地域貢献」など野球の実力以外の要素が考慮されるため、一般選考の出場校との実力差が出やすいことに批判もある。08年には21世紀枠で選出された安房(千葉)、成章(愛知)、華陵(山口)の21世紀枠の3校すべてが初戦を突破した。しかし、21世紀枠の出場校が一般選考の学校を破ったのは二松学舎大付(東京)を降した15年の松山東(愛媛)が最後で、今大会で選出された4校の活躍が期待される。