<伊豆大島の土砂災害1年>生活再建はまだ道半ば 島外避難した住民も戻ってきた
■約30世帯がいまだ仮設暮らし
大島町の真ん中にそびえる三原山は、島のどこからでも仰ぎ見ることができます。元町港から見上げる三原山には、今も土砂災害の爪あとがそのまま残っていました。山に茂った木々の一部が削り取られたように、土肌を露出させているのです。 「伊豆大島土砂災害対策検討委員会報告書」(2014年3月)によると、土砂災害による地表撹乱(地表の構造破壊)の総面積は98万5300平方メートル(東京ドーム約21個分)に及び、流出土砂量16万5000立方メートル、流出流木量1万2300立方メートルになります。広い範囲で発生したこれらの災害廃棄物は、河口付近まで堆積し、およそ7600立方メートルが海域へと流れ込んだのです。 これらの災害廃棄物のうち、市街地にある一次仮置場に置かれたものは6月末ですべて撤去されました。ただ、被災現場など、いまだに撤去が終わっていないものもあります。さらに、がけ崩れなどで寸断された道路や土台だけを残して流された家屋は、復旧できていません。災害現場には、いまもトラックやショベルカーなどの重機が各所で稼働していました。復旧はまだ半ばといったところでしょう。 「1年でほとんどが撤去できるようになりました。堆積した土砂を見た時は、まさか1年で片付けられるとは思ってもいませんでした。災害現場が元通りに復旧したかといえば、まだまだですね」 土砂・流木は撤去できても、被災者の生活再建という課題は残されています。家を失った住民や、危険区域に暮らしていた住民のうち、約30世帯が今も仮設住宅で暮らしています。
■町を離れる人はそんなにいなかった
現在、大島町は、警戒する自然災害として津波、地震、土砂崩れ、噴火を挙げています。どれも対応を一歩間違えば人命にかかわる大災害になりうるものです。もともと人口減少が叫ばれている島嶼部で、自然災害の脅威は、人口減にさらなる拍車をかけるかもしれません。 「そう思っていましたが、町を離れる人はそんなにいませんでした。一時的に島外に避難した人も戻ってきましたし、災害ボランティアで来てくださった人がそのまま住み着いたりもしているんです。島では昔から噴火を御神火(ごじんか)さまと呼んで神様として崇めていました。たしかに恐ろしい被害をもたらしますが、噴火によって大島は大きくなり、人が住まうようになったという事実もありますから、自然災害を負の面だけで見るという感覚がないんですね」