ジェイク・ポール戦が迫るマイク・タイソンのベストバウトは? その全盛期とプロキャリアを振り返る
マイク・タイソンの戦績は?
タイソンは1985年3月、18歳でプロに転向した。最初の19戦を全てノックアウトで勝利し、そのうち12戦は第1ラウンドでの勝利だった。連勝がストップしたのは1986年5月。ジェームズ『クイック』ティリスに判定負けを喫した。 タイソンによる第1ラウンド最速のノックアウトは、元ヘビー級チャンピオンの『スモーキン』ジョー・フレイジャーの息子であるマーヴィス・フレイジャーを、30秒という驚異的な速さでノックアウトしたものだ。 タイソンは20年間のプロキャリアで、24度の初回KO/TKO勝利をマークしている。 通算成績は50勝6敗で、世界タイトルマッチでは12勝4敗の成績を残した。KO/TKO勝ちは44勝だった。
マイク・タイソンのキャリアハイライトは?
『アイアン』マイクは2度にわたって世界ヘビー級チャンピオンの座に君臨し、アンディスピューテッド王者となった時期もあった(当時はWBA/WBC/IBFの主要3団体時代)。 タイソンは1986年にWBC世界ヘビー級のタイトルを獲得し、史上最年少のヘビー級チャンピオンとしてフロイド・パターソンの記録を破った。1987年には、WBA王者のジェームズ『ボーンクラッシャー』スミスとIBF王者のトニー・タッカーを判定で下し、3団体統一を果たした。 この時点で、唯一タイソンに対抗できると目されたのは、史上屈指のライトヘビー級ボクサーであり、当時のヘビー級において、「王者に勝利したものだけが王者として認められる」とする正統王者としてリング誌タイトルも保持していたマイケル・スピンクスだけだった。スピンクスにはラリー・ホームズに2度判定勝ちした実績もあった。だが、そのスピンクスも全盛期のタイソンにわずか91秒で粉砕された。 1992年にレイプ容疑で有罪判決を受けたあと、タイソンはインディアナ州立刑務所に3年間服役した。出所後、このノックアウト・アーティストはかつて手にしていたベルトを取り戻すために、再び戦える体を作り上げた。そして、数か月後にはフランク・ブルーノとブルース・セルドンを破り、WBCとWBAのヘビー級タイトルを取り戻した。 2011年、タイソンは国際ボクシング殿堂入りを果たした。