コンポストと循環経済に挑む女性たち① 親子3代女性が福岡で火をつけた「LFCコンポスト」とは
■ユーザー同士がつながり、人材育成も図る
ユーザーは、SNSやオンラインでの講座などを通じて、同じ問題意識を持つ幅広い世代の仲間とつながる機会もある。 「レストランで残したエビフライのしっぽ、持ち帰ってコンポストに入れたくなりました」 「子どもに食べやすく切ってあげるような感じで、微生物が分解しやすいよう、野菜くずとかも小さく切って入れています」 「最近、寒くなってきたので、分解が遅くなってきた感じしませんか」 と、見知らぬ相手同士でも、コンポストや微生物の話に花が咲く。 またLFCは希望するユーザーを対象に、「LFCコンポストアンバサダー」、「LFCコンポストアドバイザー」の資格制度も用意する。研修や試験を通じてLFCコンポストの普及活動を担う体制も整える。
■やせた土がよみがえる
LFCのスタッフやアドバイザーが頼る、堆肥づくり・野菜づくりの知恵袋が、LFCの代表・たいら由以子氏の実母、波多野信子氏だ。「のぶばぁ」の愛称で慕われる波多野氏の堆肥づくりは、1960年代に遡る。2022年度には福岡県から波多野信子氏が個人として「循環型社会形成推進功労者知事表彰」を受賞した。 波多野氏は結婚後、新たに居を構えた福岡県内の地で野菜づくりを始めた。しかし、それが失敗の連続。土地がやせていたのだ。そこで、生ごみや食べ残しを土に埋め始めた。すると次第に、植物の育たなかった土地が豊かになり、野菜が育ち始めた。 「埋めた生ごみが効いていると実感した。その後、世の中にコンポスト容器が出たのですぐに飛びついたが、今度は虫と悪臭に悩まされた。そこから、私の堆肥づくりの研究がスタートした」と、波多野氏はオルタナの取材に答える。
■家族の余命宣告と食養生
母・のぶばぁのもとで育ったたいら由以子代表が活動を始めたのは、自身の父、波多野宏平氏が、肝臓がんを患ったことがきっかけだ。 たいら代表は振り返る。 「父は医師から余命3ヶ月と宣告された。繰り返される検査と日に日に容体が悪くなる父の様子にいたたまれず、家族会議の末、選択したのは自宅での『食養生』。大学時代に栄養学を学んだ私が食事担当となり、無農薬野菜を手に入れるために、生まれたばかりの長女を背負って、市内中を2時間かけて探し回った」 「そしてやっと手に入れた無農薬野菜は鮮度が落ちていて、しかも高価だった」 「食べさせないと翌日父が死んでしまうかもしれないと焦る中、安全な野菜が手に入らない世の中に疑問を抱き、怒りでいっぱいになった。なぜこんなに手に入らないのか。なぜこんな世の中になったのか」 「一方で食事を変えたことで父は日に日に肌が透き通るようにきれいになり、見違えるように元気になっていった。父は亡くなりましたが、2年も寿命が延びたんです」 「食べ物は、大切な人の存在そのものを左右する」という、頭の中ではわかっていたこの事実を目の前に突きつけられ、野菜探しと6時間がかりの食事作りを中心とするたいら代表の生活は、波多野宏平氏が息を引き取るまで続いた。 たいら代表は、言い切る。 「当時、環境問題は多くの人にとっては他人事。自然と分断された今の暮らしの中では仕方がないとあきらめてしまう。でも、半径2キロの生活圏内に閉じこめられていた当時の私は、地域の自然や出来事すべてが自分事だった。そしてあっという間の24時間は、とても楽しかった。貴重で、温かく、切ない時間だった」 ※後編では、コンポストの普及活動に取り組んでいった経緯を紹介しています。