井上の衝撃2回KO劇の真相
「尚弥はこんなもんじゃない」 大橋ジムの関係者がみんな口を揃えて言っていた言葉だ。 6戦目で世界タイトルを奪った試合では、途中、足を吊った。防衛戦では拳を痛めた。 井上の凄さを肌で知っている八重樫が試合の終わる度に言っていた。 「尚弥がジムで見せている実力は、あんなもんじゃない。減量がなければロマゴンにだって勝てるんじゃないですか」 だが、10キロを越す過酷な減量が、その井上の才能を封じ込めていた。 母の美穂さんが言う。 「これまでとは全然、違いました。私も楽でした(笑)。家で喋りましたから」 ライトフライ級時代は、試合が近づくと、自宅の二階にある自室に閉じこもり、ほとんど部屋から出てこなかった。口が渇き言葉を発することに疲れた。今回は、減量から解放され、絶食の時期に、納豆ご飯をお茶碗にたった一杯だが食べることができた。家の中での行動範囲も広がり、ストレスからも解放された。 父の真吾さんが言う。 「これまではせっかく作った筋肉を全部減量でそぎ落としていた。ライトフライ級でできる限りのベストの状態は作ってきたが、スパーリングの強さをそのままリングで表現できたかといえばそうではない。今回は、フィジカルに時間をかけて約3キロの増量を筋肉にしようと取り組んだ。明らかに、パワーもパンチの質も変わってきた。鉛のようなパンチができた。これまで減量で出せなかったものを出せるようになった」 眠っていた怪物が、ついに適正階級で目覚めたのである。 真の強さは人としての生き方に比例する。 井上はナルバエスが思わず井上を少年と評したほど、まだ表情には幼さが残る21歳だが、礼儀正しく、記者との受け答えもしっかりとしている。最近の若者にしてはなどと、型にあてはめて書くと叱られるが、人としてのモラルと常識を兼ね備えている。 一度、父と母に教育方針を聞いたことがあった。 「約束やルールを守ること。そしてボクシング馬鹿になって欲しくなかった。すぐにプロの世界に飛び込んだが、人としての道を外れることなく、常識と社会性を学んで欲しかったので、少しの期間だったんですが働かせたんです」 井上は、工場で製造のバイトをしたことがあるという。自分で働いて、お金をもらうことの大切さ、そして社会の中で生活することで社会性を学んだ。井上に若者にありがちな危なっかさを微塵も感じないのはそのせいである。そういう新チャンピオンの描く未来は、現実のものになっていきそうな説得力がある。 「誰の挑戦でも受けます。この階級でできるだけ長く具志堅さんの記録を超えたい」 具志堅用高氏の持つ13度防衛の日本記録へのチャレンジがスタートした。父の真吾さんは、「この階級でナンバーワンになること。ゴールがどこにあるかわからないけれど、まだスタートを切ったばかり進化を続けなければならない」という。 スーパーフライ級には、明日、大晦日に防衛戦を行うWBA同級王者の河野公平も、そして、あの日本で試合のできない3階級王者のボクサーもいる。八重樫が敗れた最強、ローマン・ゴンザレスが井上をターゲットに階級を上げてくるのではないか?という話もある。 大橋会長は「井上の試合が歴史を変える。日本のボクシング黄金時代の扉を開ける」と予言していたが、間違いなく日本のボクシング史に刻まれる衝撃のベルト奪取劇だった。適正階級で鉛の拳を手にした井上の試合は、今後の防衛ロードをKOで塗り固めていくのは必至で、ブレイクしていくのは間違いないだろう。 本日、その伝説のボクサー誕生という歴史的な1ページを目撃した観客数は8000人と発表された。 (文責・本郷陽一/論スポ、アスリートジャーナル)