【コラム】ネクスト佐渡金山
初めて会った孫ほどの年齢の記者の前で号泣した97歳の男性コンさんのことが忘れられない。国際部の記者だった当時、日帝強制動員企画取材の過程でコンさんに会った。証言によると、太平洋戦争中だった1943年は「路上で若い人たちが日本の奴らの車に乗せられて行った時代」であり、コンさんも21歳の年齢で福岡の赤坂炭鉱に連れられて「人間でない」3年を過ごしたという。100年近い人生を生きてきたが、その半分の半分の半分の半分にもならないわずか3年の歳月がコンさんをひどく苦しめていた。 最近の「佐渡金山追悼式」をめぐる雑音に接して、4年前のインタビューを思い出した。コンさんが連れて行かれた赤坂炭鉱は過去に麻生産業が日本国内で運営した労役場10カ所の中の一つだ。「地獄炭鉱」として悪名高いここでコンさんは3回も脱出に失敗した。捕まるたびにひどい鞭打ちを受け、希望と意志を失ったと語った。 一介の石炭会社だった麻生産業は現在約90の系列会社を保有する麻生グループに成長している。日本を代表する財閥一族の成長談には朝鮮人1万1000人(最小推定値)の幾重もの深いトラウマがある。 「鉱山で採掘と発展に貢献した方々に感謝の意を表したい」。先月24日に開かれた佐渡金山追悼式で日本側は「敬意」と「感謝」を話した。佐渡金山を運営した三菱鉱業は今日、ゴールデン佐渡という三菱グループの系列会社だが、7月にユネスコ世界文化遺産に登録された佐渡金山を通じて観光ブームを期待している。朝鮮人の血・汗・涙の現場だが、三菱グループは衰退した石炭業の代わりに新しい観光事業の機会をもたらす場所として考えているのだ。 謝罪どころか「強制」という単語さえもない追悼の辞で韓国の遺族を招待した日本政府の認識も違わないようだ。「私たちがコップに水を先に入れれば、日本が残りの半分を満たす」(朴振元外交部長官)という韓国の期待とは違い、日本は自発的にコップに水を入れる考えはない。日帝強制動員研究の権威者チョン・ヘギョン博士は「もともと加害国は自ら謝罪する能力がない。ただ被害国の責任感が加害国を謝罪させるということ」と話した。「ドイツも最初から過ちを認めたのではなく、欧州など被害国の圧力で謝罪をした」とし「日本はそのような経験がない」と指摘した。 チョン博士の調査によると、日本が世界文化遺産登録を推進中の66件の近代化産業遺産群のうち40%は佐渡金山のように強制動員と関係がある場所だ。しかし10年前に強制動員委員会が廃止された後、政府レベルの強制動員調査と研究は力を失った。次の登録推進対象と予想される黒部ダム、足尾銅山は韓国国内の研究者が一人もいない。被害国の責任感を考えてみる時だ。 オ・ファンヒ/IT産業部記者