部屋まで忍んできて紫式部姉妹に手を出そうとしながら「真意の分かりかねる言動」をした男…『光る君へ』主人公・紫式部が少女時代の恋をほのめかした唯一のエピソードとは
◆邸内に肉親は弟一人 宣孝は正暦(しょうりゃく)元年(990)8月30日の除目(じもく)で、筑前守(ちくぜんのかみ)に任じられた。 「未だ検非違使(けびいし)の巡(じゅん)に及んでいない。何の理由が有って任じられたものであろうか」と実資に非難されているが(『小右記』)、やがて任地に赴任したことであろう。 なお、『石清水文書』所収「筥崎宮塔院所領官符(はこざきぐうとういんしょりょうかんぷ)」によると、大宰少弐(だざいのしょうに)も兼ねていた可能性もある。 為時と違って有能で世渡り上手な宣孝は花山天皇の退位後も(六位蔵人(ろくいのくろうど)は自動的に停任(ちょうにん)となったものの)左衛門尉(さえもんのじょう)を解任されることはなく、検非違使に補されていたのである。 ここで道隆によって受領(ずりょう)に抜擢されたことになる。
◆約束 なお、ここに出てきた姉は、まもなく亡くなってしまった。 紫式部は、同じく妹を亡くした女性と義姉妹の約束をしている。 「北へ行く 雁(かり)のつばさに ことづてよ 雲のうはがき かきたえずして」 (北へ飛んで行く雁の翼にことづけて下さい。今まで通り手紙の上書を絶やさないで) 為時の方は相変わらず散位(さんい)で過ごし、しかも後妻の許に通う日々であった。母も姉も亡くした紫式部にとって、邸内に肉親といえば弟が一人いるだけである。 不遇の家で少女時代を寂しく過ごした紫式部は、思索を重ねるなかで、兼家から道隆・道兼・道長への政権交代を、まったく他所のこととして聞いていたことであろう。 ※本稿は、『紫式部と藤原道長』(講談社)の一部を再編集したものです。
倉本一宏
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