なぜ栄氏を無責任に擁護し続けてきた谷岡学長は急転、解任を決意したのか
その上で谷岡学長は「(栄氏は)実績を積みあげてきた天才。だが、自分で“俺、子どもですね”と言ったことがあり“子どもだったら私も楽。子どもじゃないから始末に悪い”とざっくばらんに言い返したことがある。“あなた、それでよく社会を渡ってきたね”という子どもじみたところがある。怖がりの小心者かと思えば、ものすごく強がりも言う。基本的には善人だが、今回、まわりに自分が与えてきた痛み、そして、その責任は理解してもらえなかった。理解していれば明治杯でのああいう言動はなかっただろう」と断罪した。 今回の会見には、大きく見て三つの矛盾がある。 なぜ、パワハラ行為が認定され協会の強化本部長を辞任、学内調査した段階でも問題点が発覚していたのにもかかわらず、今回の復帰を認めて解任が遅れたのか? また栄氏の指導者としての人格に対し“よく社会を渡ってきたね”と思うほどの問題意識もあったのに、ここまで、会見で擁護し続けてきたのか? そして、今大会の3日間の態度を見るまで、なぜ反省の意思を確認することができなかったのか? 1日目の映像では、観客席で栄氏と一緒になってヘラヘラと笑っている学長の態度も映し出されていた。あの映像を見る限り、反省しない、のは、この人も“同罪”に見えた。 これらはすべて学長としての管理責任を問われる問題である。 この日の会見で、まず解任が遅れたことに対しては、「復帰の時期をと考えた。甘いと言われれば、そのご批判は甘んじて受ける。ただ、私自身も、少なくとも、あの決定(内閣府のパワハラ認定)も早すぎるかなと。あの時点では甘かったかなと思うこともないではない。その一方で選手たちが監督を返してほしいということもあった。できるだけ、再チャレンジのチャンス、改善のチャンス、成長のチャンスというものにかけるという立場で、あのような処置をとった。もちろん批判はあろうかと思うが、それは私たちの教育機関としての姿勢」と言い訳をした。いわば、教育機関として、処分よりも、再生を優先したというのだ。 だが、目の前の事実を認め、その原因を究明して、反省するプロセスがなければ再生も無意味だ。それならば、今回のその姿勢を貫けばいいわけで、教育者として、その順番を取り違えている。