「自分はもう終わりだと思いました」“永瀬すぎる”振る舞いの裏に知られざる苦難…柔道81キロ級金・永瀬貴規(31歳)が陥った「東京後のスランプ」
「このままでは、自分はもう終わりだと」思った東京後
ところが、永瀬を飲み込む闇が、東京オリンピックの後に待っていた。 東京で金メダルを獲得した永瀬はどこに行ったのかと感じるほどスランプは深刻で、本来の柔道が消えていた。何が永瀬を変えてしまったのか。 「当時は勝ちたいというよりも、負けられない、負けちゃいけないという意識に縛られていました。そのために自分の本来の柔道を見失っていったんです」 永瀬本来の柔道とは、懐を深く、相手の胴着の襟と袖口をしっかりと掴み、前へ出て攻め、得意な投げ技を仕掛けていくことである。 「負けてはいけない、と思うあまり、リスクを負ってでも攻めるその一瞬に躊躇するようになっていた。時には、判定や反則を狙う気持ちもありました。金メダリストになったことで保守的になり、自らの柔道が狭められてしまった。このままでは、自分はもう終わりだと思いました」 心を整えた永瀬は、弱い自分と真っ向から向き合った。 「コーチの秋本啓之さんと一緒に、過去の練習や試合の映像を繰り返し見直しました。自分一人では、弱さの原因を客観的に見ることも、分析することもできませんから、秋本さんに徹底的に弱さの原因を指摘していただきました。すると、変に力んでしまったり、柔道自体が小さくなったりして、自分の良さが出せていないことがわかりました。姿勢と組み方、進退動作、崩しと体さばき、固め技の基本動作、抑え込みなど、自分本来の柔道を呼び覚まし、一から作り上げていったんです。それで、スランプから抜け出すことができました」 永瀬が、栄光のパリオリンピックの前年に、「勝てない自分」と戦っていたことを知る人は少ない。
目指すのは「自分の柔道を極め」ること
2028年に開催されるロサンゼルスオリンピックでの活躍を誰もが期待するところだが、永瀬自身はまだ決めていないという。 「4年後ですから年齢を考えると今まで以上に体への負荷が大きくなります。ですから簡単に決めることはできません。時間をかけて、次の目標を設定したいと思っています。もちろんオリンピックを目指したい気持ちはありますが、今はまだ、はっきり決まっていない。本当に、これからじっくり考える、という状況です」 だが永瀬の中で、揺るがない目標はある。 「私はずっと、自分の柔道を極めたいと思っています。そのためにはいろいろな壁や、苦しい期間を乗り越えなければなりません。壁が高ければ高いほど、苦しい時間が長ければ長いほど、乗り越えたときに自分の柔道に近づくことができる。そう信じて、日々の稽古を積み重ねています」 永瀬は2020年から年に1回、母校の長崎日大高を会場に柔道大会「永瀬貴規杯」を開催している。新型コロナウイルスの影響で、さまざまなスポーツ大会が中止になったことがきっかけだった 柔道を愛し、極めたいと願う永瀬にとって、日本柔道の未来には大きな責任がある。 「日本では柔道をやれる環境が、年々少なくなっているのは間違いありません。その影響で日本での競技人口が減っていると思うので、今後はそこも考えていかないと。私も微力ですけれど、お手伝いができればと思っています」 子供を指導することが楽しいと笑う永瀬。その笑顔の先にこそ、日本柔道の輝く未来がある。
(「オリンピックPRESS」小松成美 = 文)
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