「自分はもう終わりだと思いました」“永瀬すぎる”振る舞いの裏に知られざる苦難…柔道81キロ級金・永瀬貴規(31歳)が陥った「東京後のスランプ」
ケガからの実戦復帰に要した「1年のブランク」
手術とリハビリのため、実戦への復帰には1年を要した。それまで大きな怪我をしたことがない永瀬は、1年もの間、柔道から離れたことはなかった。 「1年は、私にとっては長い時間でした。試合に出られない間には、若手の台頭もあり、結果を残している選手を見ると苦しかった。リハビリをしながら、怪我と同様に、焦りや不安とも戦っていたのです」 復帰直後は、さまざまな課題が山積していた。一から体を作り直すことはもちろん、怪我をした技に対する不安や恐怖の克服、第一線を離れている間に台頭してきた対戦相手への対応やその戦術など、オリンピックまで3年間という限りある時間の中で取り組むために、永瀬は文字通り柔道漬けの日々を過ごすことになる。 永瀬が柔道を始めたのは6歳、小学1年生の頃だった。稽古も好きだったが、他の選手の試合を見るのも大好きだった。自分より高学年の選手の試合では飽き足らず、近所の中学生や高校生の試合を見に行っていた。そして、先輩たちが繰り出す技に見入っていた。 「あの技かっこいいなと思ったら、真似したくなるんですよ。それで、先生や先輩に聞いて、稽古して、自分のものにするのが楽しかった。もちろん覚えた技が試合で決まれば、うれしかった。怪我を克服して実践に戻るまでの間は、あの頃の自分に戻っていました。強い選手の試合を見て学びましたし、弱い自分を進化させることが楽しいと感じられるようになったんです」 怪我から復帰後、しばらくは思い通りの結果を残せない時期もあったが、2019年に入ると努力が実を結び、数々の国際大会で勝利を重ねていく。そして2020年の東京オリンピック出場を決めた。ところが新型コロナウイルスの影響で、東京オリンピックの開催が1年延期となった。 「試合当日をベストコンディションで迎えるために、さまざまな調整をしている中では、厳しい決定でした。パンデミックの中、コンタクトスポーツである柔道は、海外の選手と対戦する国際大会が開催されないだけでなく、道場などでの集団練習の自粛を余儀なくされたんです」 そんな環境下で、オリンピック開催まで体力、実力、メンタルを1年間キープしなければならない。先の見えない中、永瀬は、この現実をポジティブに捉えた。 「リオオリンピックから東京オリンピックまでの4年間のうち、怪我の治療とリハビリに1年間を費やしたわけですが、図らずもその1年を取り戻すことができる、自分は運に恵まれた、と考えるようにしました」 そして迎えた2021年の東京オリンピック。3回戦でイタリアのクリスティアンパルラティを、準々決勝でドイツのドミニク・レッセルを、準決勝では世界チャンピオンとなったベルギーのマティアス・カッセを破った。 決勝では初対戦となるモンゴルのサイード・モラエイと戦い、延長戦にもつれ込みながらも、足車による技ありで勝利。 「日本代表であれば金メダルが使命。それが自分の役目でもある」という思いを抱いていた永瀬は、ついに、オリンピックという舞台で表彰台の中央に立ったのだ。
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