【600eのご先祖様】 フィアット600はどんなクルマだった? 歴代モデルを振り返り!
世界初の小型マルチピープルビークル、ムルティプラ
フィアットは600ベルリーナに続いて、ファミリアーレ(ステーションワゴン)の600ムルティプラを用意。1956年のブリュッセル・ショーで発表され、世界初の小型マルチピープルビークルとして注目を集めた。 2列シート4/5人乗りと、3列シート6人乗りの2タイプが用意された。2列目シートはフロア部分に格納でき、フラットな荷室を実現。最大積載量は350kgを確保していた。 ルーフをフロントまで延長した愛らしいデザインの4ドアワンボックスタイルで、広い室内スペースを獲得。ベルリーナ比で全長は320mm長い3535mmとなり、全幅は70mm広い1450mm、全高は室内スペースを確保するため 175mm高い1580mmとされ、ホイールベースは2000mmで変わらない。 パワートレインは600ベルリーナと共用で、633ccの排気量から22馬力を発揮した。車両重量は大型化したボディのため700kgと重くなり、最高速度は90km/hに留まる。 600ムルティプラの価格は4/5人乗りが73万リラ(当時の為替レートで約42万5000円)、6人乗りが74.5万リラで、600ベルリーナは59.5万リラだった。こうして600ムルティプラは好評を持って受け入れられ、イタリアではタクシーとしても使用されるほどだった。 1960年になると排気量を767ccに拡大し29馬力にパワーアップした600Dムルティプラに進化。そのまま1969年まで生産され、約24万台が送り出された。
アバルトとフィアット600
アバルト社創始者のカルロ・アバルトは、フィアット600が備える潜在的なポテンシャルの高さを見抜き、すぐさまチューニングキットを開発する。まず「アバルト750デリヴァツィオーネ」と名付けられた600ベルリーナ用のフルキットを1956年に発売する。 その内容はアバルトがレースで培った技術が投入され、排気量を747ccに拡大し、鍛造製クランクシャフト、カムシャフト、ピストン、バルブ、バルブスプリングからオイルサンプまで新たに作られた。 専用のマニフォールドにウェーバー32IMPEキャブレターと、新設計のエグゾーストシステムを組み、フィアット600の2倍近い42馬力を発揮し、最高速度は130km/hに達した。発売されると大きな人気を集め、アバルトの名を知らしめた。 続いてアバルト初の量産2座GTとなる750GTザガートが1956年に登場する。 フィアット600の鋼板プレスフレームとサスペンション、750デリヴァツィオーネのパワートレインを基に、カロッツェリア・ザガートが軽量なアルミ製ボディを架装。ヘッドスペースを確保するためルーフを膨らませたためダブルバブルと呼ばれた。 750GTザガートのパフォーマンスを見抜いたコンペティター達はすぐさま参戦を開始し、デビュー直後に開かれた1956年のミッレ・ミリアではGT750ccクラスで2位を獲得。1957年のミッレ・ミリアではGT750ccクラスの1位から12位までを占めるなど、数多くの勝利を重ねレースの世界でもアバルトの名を確立させた。 以来フィアット600をベースとする850TCから、1000TC、究極のツーリングカーである1000TCRへと進化する。GTモデルは、ビアルベーロ(DOHC)エンジンを搭載するレコルトモンツァから1000ビアルベーロへと発展し、小排気量クラスの王者として君臨した。