参院選で歴史作った「れいわ」が日本政治に生み出す渦
昭和の日本が米国に牙を抜かれた平成
戦後の日本政治を振り返れば、焼け野原から復興と経済成長を目指し、そのため平和憲法を盾に米国の軍事要求をかわし、米国からの自立を目論んだ昭和の時代があり、次に米ソ冷戦が終わって日本を最大の敵と見る米国が、構造協議や年次改革要望書で日本経済を解体し、さらに平和憲法を護らせることで日本を隷属化した平成の時代がある。 戦後日本の経済成長は、ケインズ経済学を基礎とする「大きな政府」によって達成された。「大きな政府」とは福祉に重きを置き国が経済に関与する体制である。自民党も社会党も「大きな政府」を支持し、その先には欧州型の福祉国家を目指した。 一方で軍事に金をかけないよう、自民党が社会党に護憲政党の役割を負わせ、国民に平和主義を植え付けて、それを米国に見せつけた。米ソ対決時代の米国は日本に社会党政権が出来ては困るので、その弱みに付け込む「巧妙な外交術」だった。 その結果、1980年代に自動車や家電など日本製品が米国市場に溢れ、米国の製造業を駆逐して米国経済を土俵際まで追い詰める。そして85年に日本は世界一の金貸し国となり、米国は世界一の借金国に転落した。昭和の日本は明治以来目指してきた「坂の上の雲」にたどり着いたのである。 ところが平成元(1989)年に冷戦が終結し、その2年後にソ連が崩壊すると、米国は日本を最大の敵と見て、ケインズ経済学を否定する新自由主義、いわゆる「小さな政府」の政策で日本経済の解体に取りかかる。日本経済の強さの秘密は、戦時中に作られた銀行が企業をコントロールする間接金融体制と、終身雇用制や年功序列賃金などの労働慣行にあった。 米国は日本に「プラザ合意」と「ルーブル合意」を飲ませて日本経済にバブルを起こさせ、その処理をめぐって日本の銀行の力を削いだ。世界のトップに君臨した日本の大手銀行が軒並み不良債権に苦しみ、経営統合に追い込まれる。 次に米国は「労働力の流動化」を要求し、非正規労働者を大量に生み出させた。年功序列賃金や終身雇用制は「今日より明日に希望が持てる仕組み」だったが、非正規労働者の増大は世界最速の少子高齢化とともに、先行きの老後不安を深刻化する。 平成の30年間は米国に挑戦した昭和の日本が、次々に牙を抜かれていく時代だったと思う。その中で政治は「55年体制」との決別が求められた。ソ連崩壊後は米国に対するけん制策として社会党を使うことができなくなる。政権交代を狙う本物の野党を作る必要があった。そこで小選挙区制が導入され、初めての政権交代が2009(平成21)年に実現した。 当時は、米国が要求する「小さな政府」を受け入れた小泉政権によって格差拡大と弱者切り捨てが進行していた。政権交代はそれを是正する方向に向かわなければならない。小沢一郎民主党代表が2007年に掲げた「国民の生活が第一」はそれを意味していた。 それが自民党支持者にも影響し、自民党支持の業界団体を巻き込んで政権交代は実現した。この政権交代がうまくいっていれば、米国の共和党と民主党、英国の保守党と労働党のように「小さな政府」対「大きな政府」という政権交代の図式が日本にも定着した可能性がある。 しかし万年与党と万年野党という時代が長かったせいか、政権交代には官僚機構など各方面でハレーションが起きた。政権交代直前に検察が小沢代表の秘書を逮捕するなど通常ありえない事件が起き、政権交代はおかしな方向に向かう。 そして鳩山由紀夫首相の辺野古新基地をめぐる迷走、菅直人首相による米国のTPP要求受け入れ、選挙公約を裏切る10%の消費増税宣言、さらには東日本大震災での対応の稚拙さ、そして最後は消費増税3党合意と、首をひねるしかない衆議院解散など、どれを見ても政治の未熟さを思わせる出来事が相次いだ。