杏・主演「かくしごと」よくぞここまで原作通りに……、からのラストシーンの改変にびっくり! 「映画の続きを原作で」という珍しい関係性をみた
■原作と映画、ここが違う!
ラストの改変については後述するが、それ以外はまるで原作小説をそのまま脚本にしたかのように原作通りだった。飲酒運転の経緯や少年の実母の性格など細かい違いはあったが、千紗子(杏)、父(奥田瑛二)、少年(中須翔真)の主要三人は言うに及ばず、久江(佐津川愛美)や亀田医師(酒向芳)、少年の実父(安藤政信)といった脇に至るまで、原作イメージそのものだった。 ただ、映画の尺に収めるためにカットされたエピソードはいくつかある。たとえば原作では、千紗子と父と少年が美術館に仏像展を見にいく場面がある(そして行ったことを翌日には父は忘れる)。また、久江親子と一緒に夏祭りに行く場面もある。だが、それらをカットしても三人の暮らしの様子や千紗子の変化はちゃんと伝わる構成になっていた。 だがそれらとは別にもうひとつ、カットされた場面がある。原作でもひとつの山場だったので「あれ出さないんだ」とちょっと驚いたのだ。それは千紗子が父の部屋で見つけた日記を読む場面。その日記がねえ……切ないのよ。原作のタイトルは『嘘』で映画は「かくしごと」だが、父の側にも嘘やかくしごとのあったことが、この日記でわかる展開になっているのだ。 これをカットしたのは、文字だからこそ伝わる場面だからかもしれない。その内容のみならず、認知症が進む中で書かれた日記は『アルジャーノンに花束を』を彷彿させるような筆致で、もうタマランのよ……。でもこれを映像や音声で再現させるのは難しいので、その代わりに入れられたのが原作にはない風呂場のシーンなのだろう。文字だからこその効果と、映像だからこその効果がはっきりわかる改変だった。 不思議だったのは、原作では千紗子と少年の物語が主軸だったのに対し、映画では千紗子と父の関係がより強い印象を残したことだ。原作では千紗子が嫌っている父を少年が一身に世話するのを見て次第に千紗子が変わっていくのだが、映画では父と娘の関係がもっとダイレクトに伝わってきた。これは視点の問題も大きい。千紗子視点の原作では嫌っている父より心配している少年の話が多くなるのは必然だ。それを映像で俯瞰で見るとこんなに印象が変わるのか。何より奥田瑛二さんの存在感よ! 名優・奥田瑛二を配したことで父と娘の物語になったなあ……と思いながら見ていた、その気持ちがひっくり返されたのがラストだ。
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