もし戦艦「大和」やめてたら? 海に消えた“国家予算の約1割”で一体なにを作れたのか
空母にしても2隻だけ
一昔前の架空戦記の定番ネタに、「大和型戦艦を建造せずに、別の何かを建造する」というテーマがあります。例えば小説『紺碧の艦隊』では、大和型戦艦の代わりに潜水空母の秘密艦隊を建造しています。 【貴重ぉぉぉな写真】戦艦「大和」「武蔵」の並び 大和型は1937(昭和12)年の第3次海軍軍備補充計画(マル3計画)に基づき建造された戦艦で、建造費は2隻で2億7102万円。これは当時の国の一般会計歳出(予算ベース)で8.6%の規模です。しかしこれだけの予算をかけたのに、太平洋戦争では期待された戦果をあげられなかったため、「大和型戦艦の代わりに別の何かを作れば戦争が有利になったはず」といわれているわけです。 では前提条件を無視し、予算を転用できたとして「何が、どれくらい」作れるのか検証してみましょう。 大和型戦艦は1937(=皇紀2597)年に予算が付いたので、言い換えれば「九七式戦艦」です。マル3計画での航空隊整備は1937~1940(昭和15)年までですから、例えば「大和型を作らずに航空機を作る」としたとした場合、その予算で用意できるのは、大半が九六式艦戦、九六式陸攻、九七式艦攻です。つまり太平洋戦争突入時は多くが型落ち機となっていると思われます。 ●空母の場合 大和型を大型空母に振り替えた場合、当時の日本で大型空母(戦艦)を作れるのは4か所だけですから、戦艦2隻が翔鶴型空母に変わったでしょう。翔鶴型空母の建造費は8449万円、艦載機は推定で1105万円程度と思われるので、1隻9554万円程度です。 航空隊の開設費用や、100時間程度で寿命となる艦載機の更新費用を考えると、大和型を取りやめても、翔鶴型2隻をギリギリ実戦化できた程度でしょう。
海防艦なら100隻近く でも乗組員は?
●海防艦の場合 「旧日本海軍は補給を軽視し、船団護衛に力を入れなかった」との批判もあります。大和型と同じマル3計画では、占守型海防艦が建造されており、1隻321万円です。建造施設を考えないとして、大和型2隻の予算で84隻を建造できます。 ただし、大和型2隻の乗組員は建造時で5000名ですが、海防艦84隻の乗組員は1万2600名必要であり、人員面でそこまで作れない可能性があります。さらに海防艦が84隻あれば戦争が有利になったかといえば、ならなかったでしょう。 日本がアメリカと互角に戦闘できたのは1942(昭和17)年までで、その時点ではまだ海上交通線が機能していました。日本が物量で圧倒され始めた後に大量の海防艦があったとしても、アメリカの空母機動部隊や水上艦艇の襲撃を受ければ、海防艦では壊滅します。前線を維持する戦力なしで、後方を充実させてもどうにもならないということです。 ●高速油槽船の場合 旧日本海軍で切実に常時不足していた艦艇は、艦隊に随伴できる高速油槽船(タンカー)でした。真珠湾攻撃などを支えた東亜丸型油槽船は、20ノット(約37km/h)を発揮できる高速ですが13隻しかありませんでした。 旧日本海軍のタンカー不足は深刻で、ミッドウェー海戦後には艦隊決戦1回分の燃料しかないほどの燃料不足であり、ガダルカナル島の戦いで大和型戦艦が出撃できなかった一因も、タンカー不足で燃料がなかったからといわれています。さらにマリアナ沖海戦やレイテ沖海戦で艦隊の出撃が遅れたのも、タンカーの手配ができず燃料の心配があったからです。