【後藤真希】「いい意味でも悪い意味でも人を信頼しやすい」モーニング娘。時代の知られざるエピソードなど、デビューしてからの25年を語る!
スキルアップした20代。人見知りを克服した30代
――20代はどのように過ごされたのでしょうか。 後藤真希:20代前半は、もっとなにかできることがありそうと思っていた時期だったように思います。歌だけでなく、ダンスのスキルというか、ダンスへの意識が変わったのもこの頃。22~3歳までハロー!プロジェクトで活動していましたが、当時のライブのダンサーズにEXILEのNAOTOがいたんです。プロのダンサーの中でもひときわ目を引く存在で、私もリハのときにNAOTOを見ながら練習していたので、スキルアップしたという実感を得ることができました。 ――30代はいかがでしょうか。 後藤真希:「困ったことがあっても、嫌なことがあっても、全部自分ひとりで消化して、自分で解決しなきゃいけない」と思っていた私が、仕事などさまざまな経験をして、「いろんな方に助けられながら生きているんだな」と思うようになりました。今では人見知りも克服できたように思います。それまではお仕事でいろんなタレントさんやアーティストさんと一緒になってもまったくしゃべらないタイプだったんですけど、エレベーターで乗り合わせた知らないおじさんに「暑いですね!」なんて自分から話しかけてしまうくらい(笑)。少しずつ人に頼ることもできるようになって、周りに人がいることを幸せと思えるようになり、少し楽に生きられるようになったかな。
レースワンピース¥41800/バウム・ウンド・ヘルガーテン(S&T) 中に着たワンピース¥41800/サムソ サムソ(eight) ピアス¥99000/Moixx(ロードス) 靴/スタイリスト私物 ――お仕事はずっと楽しかったという感じですか? 後藤真希:辛かった時期ももちろんあります。でもいつでも、ライブでファンのみんなの顔を見ると嬉しくて楽しい気持ちになれましたね。ファンに支えられた25年だったと思います。 ――20代の頃にこれをやっておけばよかったと思うことはありますか? 後藤真希:“こういうお仕事をやってみたいな”とか、心の中で思うだけじゃなくて、ちゃんと伝えることをすればよかったなと思います。当時は周りの方々に委ねきっていたというのもあるんですけど、伝える前に諦めてしまっていったんですよね。たとえば私が船の舵をとって頑張ってやっていても、もうひとり舵を握りたい人が出てきちゃうと、その舵を取り合うことに疲れてしまったり。私は争うことが苦手なので諦めてしまったけど、それが良くなかったかなと。才能がある人の光を誰かが見つけて、それを自分ではない誰かが形にするっていうプロデュース的な感じに慣れきってしまっていたんだと思います。でも今は時代的にもそうじゃない。「口に出してやりたいことをやって、一歩踏み出していくっていうこと」がすごく大切だなと感じているんです。たとえそれが実を結ばなくてもいい。まずは思いを言葉にすること。 ――でも、周りの方々をそこまで信頼できていたというのは、逆に素晴らしいことだと思います。 後藤真希:いい意味でも悪い意味でも人を信頼しやすいっていうのはあるのかな。自分が損をすることより、人を裏切ったり傷つけたりすることのほうがイヤだったんです。誰かの悪いところを見ても、いいところのほうを見つけるようにしてその感情をかき消したりもしていました。 ――それはもう、スタッフさんや周りの方々にさぞかし愛されたのでは? 後藤真希:いやいや。でも私、友達はほとんどいないので(笑)。