「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・橋姫⑤ 簡単に思いを捨てられない「心の弱さ」を思い知る
輝く皇子は、数多くの恋と波瀾に満ちた運命に動かされてゆく。 NHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部。彼女によって書かれた54帖から成る世界最古の長篇小説『源氏物語』は、光源氏が女たちとさまざまな恋愛を繰り広げる物語であると同時に、生と死、無常観など、人生や社会の深淵を描いている。 この日本文学最大の傑作が、恋愛小説の名手・角田光代氏の完全新訳で蘇った。河出文庫『源氏物語 6 』から第45帖「橋姫(はしひめ)」を全7回でお送りする。 【図解】複雑に入り組む「橋姫」の人物系図
光源氏の死後を描いた、源氏物語の最終パート「宇治十帖」の冒頭である「橋姫」。自身の出生に疑問を抱く薫(かおる)は、宇治の人々と交流する中でその秘密に迫っていき……。 「橋姫」を最初から読む:妻亡き後に2人の娘、世を捨てきれない親王の心境 ※「著者フォロー」をすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 ■本当のところは心残り 中将は、なんとも奇妙に思い、夢物語か、巫女(みこ)のような者が問わず語りでもしているようだ、とまったく理解できないのだが、ずっと切に知りたいと思っていたことにかかわる話なのではないかという気がし、もっとその先まで聞いてしまいたいのだが、いかにも人目が多く、出し抜けな昔話にかかわって夜を明かすのも失礼だろうと思い、
「これといって思いあたるようなことはないのですが、昔のことを聞くのは何やら身に染みるようです。それでは、かならず残りの話を聞かせてください。霧が晴れたら決まり悪いほど粗末な姿ですから、姫君に失礼があってはいけませんし……。本当のところは心残りなのですが」と立ち上がる。宮のこもっている山寺の鐘の音がかすかに聞こえ、霧がじつに深く一面に立ちこめている。 峰にかかる幾重もの雲が、宮を思う心も隔てている気がして、しみじみと悲しく感じられる。なおのこと、この姫君たちのお気持ちはどんなだろうと思うといたわしく、さぞやもの思いの限りを尽くしていることだろう、こうして世馴れない様子でいるのも無理はない、と中将は思わずにはいられない。