「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・橋姫⑤ 簡単に思いを捨てられない「心の弱さ」を思い知る
その翌日には、八の宮のこもっている寺にも使者を向かわせる。山ごもりをしている僧たちは、この頃の嵐で実際に心細くてつらいだろうし、八の宮がこもっていたあいだのお布施も必要だろうからと考えて、衣や綿などをたくさん送った。その日はちょうど八の宮が勤行を終えて寺を出る朝だったので、おかげで八の宮は、修行僧たちに綿、絹、袈裟(けさ)、衣などすべて一揃いずつ全員に贈ることができた。 宿直人は、中将が脱ぎ与えた優雅にうつくしい狩衣や、なんともすばらしい白綾(しらあや)の衣裳の、やわらかくて言いようもなくいい匂いのものを、そっくりそのまま着ているのだけれど、当人の体は変えることができないのだから、不釣り合いな袖の香りを、会う人ごとにあやしまれたり褒められたりするので、かえって窮屈な思いで……。宿直の男は思い通りに気ままに振る舞うこともできず、気味が悪いほどだれもが驚くその匂いをいっそ消してしまいたいと思うけれど、あふれかえるほどの移り香なので、すすぎ落とすこともできないとは、どうにも困ったこと……。
次の話を読む:12月29日14時配信予定 *小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです
角田 光代 :小説家