「消防団員」として地域を守る男性...震災で弟2人を亡くした過去 災害時に活躍する消防団の存在を次世代に知ってもらい「思いと記憶」を引き継ぐ 阪神・淡路大震災
阪神・淡路大震災から29年。当時、計285件の火災が発生して、特に神戸市長田区では集中的な火災に見舞われました。道路が壊れて消防がなかなか現場に駆け付けられない状況の中、活躍したのが地元の「消防団」です。今回、7歳の時に被災して弟2人を亡くし、18歳の時に消防団に入団した男性を取材。消防団員として震災と向き合いながら地元を守る男性の思いを聞きました。 【写真を見る】がれきの中から見つかった「たった4枚の写真」…柴田さん『上から畳とかが降ってくるのが見えた』
『揺れた瞬間に突き上げられて、2階が落ちてきた』
年末の神戸市長田区。地元の消防団が火事の発生に注意を呼び掛けるため地域を練り歩きます。 (柴田大輔さん)「歩きながら上とかに(危険が)何もないか確認はしています」 長田消防団第8分団の分団長を務める柴田大輔さん(36)。29年前の1月17日、2人の弟を亡くしました。 当時小学1年だった柴田さんはアパートの1階で両親と弟2人の家族5人で寝ていました。そして、午前5時46分。 (柴田大輔さん)「揺れた瞬間に突き上げられて。その瞬間に2階が落ちてきたので、天井が落ちてきたから。上から畳とかが降ってくるのが見えたので。ぱって見たらもう下敷き状態」 大地震で家族は生き埋めに。柴田さんと両親は火の手が迫る中、何とか助け出されましたが、弟の3歳の宏亮ちゃんと1歳の知幸ちゃんは助からず、家はそのまま全焼して変わり果てた姿で見つかりました。 (柴田大輔さん)「1番下の弟は骨の状態で出てきたから、何もなく、何の面影もなく出てきた。ただ真ん中の3歳の次男が顔が半分だけ残っていたので。それを見た瞬間にもう…そこから僕はパニックになったのかわからないですけど、そこからの記憶があまりないんですよね」 自宅にあった物は火事でほとんどが焼け、がれきの中から見つかったのは4枚の写真だけでした。
一時は引きこもるも…『次は自分がやる番や』という思いで消防団に
再び地震が起きたら…。そんなトラウマから柴田さんは一時自宅に引きこもるようになります。しかし、地域の人やボランティアが声をかけ続けてくれたことで、少しずつ前を向けるように。18歳の時に「自分のような人を助けたい。地域の力になりたい」と消防団に入団しました。 (柴田大輔さん)「火事のにおいがすると、やっぱり震災の時のにおいと一緒なので、恐怖にはなるんですけどね。ただそこで助かった命が自分自身もあるので。いろいろな方に助けてもらった。次は自分がやる番やなっていう思いがあったから」