「総選挙、負けても構わない」 尹大統領は政治も価値も放り投げた(1)
韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は失敗した。2021年6月に政治に入門してからわずか9カ月後に大統領に当選した尹氏は就任2年7カ月で弾劾訴追された。憲法裁判所の弾劾審判が残っているが、すでに尹大統領の政治的地位は復元不能状態だ。内乱罪被疑者身分で捜査機関の調査も目前だ。振り返ってみると、2019年8月末曺国(チョ・グク)事態の時から政局の中心にいた彼は検事から政治家に変身してあっという間に権力の頂点に到達し、下降もめまいを起こすほどの垂直落下ぶりした。尹大統領は野党を狙って「憲政秩序を破壊する怪物」(12日国民向け談話)と規定したが、むしろ45年ぶりに非常戒厳を宣言するなど本人自らが「怪物」に転落したのではないかという指摘が出ている。 没落の端緒は戒厳以前から生じていた。11月の任期折返し地点で公開された各種世論調査で支持率は10%台後半にとどまった。「87年体制」以降、最弱体政府で、事実上、植物政府だった。国政運営の基本である3要素が不在した。 (1)政治の失踪=0.73%ポイント差の間髪の当選だった。それだけスタート時から脆弱だった。だが、逆境を突破してきた尹大統領はこのような現実を冷遇したまま、反対勢力との協力を遮断した。李在明(イ・ジェミョン)代表の司法リスクと民主党の防弾暴走が尹大統領の野党排斥に正当性を付与した。結局。李代表との会談は総選挙以降にようやく実現した。弾劾乱発(17回)と立法独走、これに対抗した拒否権行使(25回)の悪循環だった。 さらに痛かったのは党政関係だった。短い政治経験で党内基盤が弱い尹大統領は反対給付で与党掌握により力を傾けるようになった。李俊錫(イ・ジュンソク)追放と金起炫(キム・ギヒョン)選出過程で支持層の離反が深刻化した。決定打は韓東勲(ハン・ドンフン)代表との衝突だった。事実総選挙を控えて2月末まで民主党の「致命的事故」によって与党の展望は悪くなかった。だが、3月に入り「祖国革新党」旋風と李鐘燮(イ・ジョンソプ)・黄相武(ファン・サンム)事態で世論は急反転した。大統領室参謀陣が事態収拾のために奔走したが、当時尹大統領は平気でこのように言い放った。「選挙に負けても構わない」。比例代表から脱落したチュ・ギファン氏を直ちに大統領民生特別補佐官に任命し、これを参謀陣が引き止める過程でも同じような場面が演出された。「尹-韓」葛藤の素顔を赤裸々にさらした瞬間だった。