歴代のミゼットMPがズラリ! ミゼットマニアの至福の空間|旧車の棲むガレージ
【歴代のミゼットMPがズラリ! ミゼットマニアの至福の空間】 日本の自動車史の中で、その発展の礎となったクルマがオート三輪だ。1950年代後半の日常風景として、オート三輪は当時を知る人々の記憶に残っている。なかでも小さくて愛きょうある顔を持つダイハツ・ミゼットは、酒屋や米屋など商店の配達のクルマとして、縦横無尽に活躍していた。 【画像17枚】1960年式ミゼットMP3前期型。現存数3台といわれている中の貴重な1台。1960年式ミゼットMP4前期型は、リアガラスは1枚ものとなるが、ドアウインドーはMP3と同じビニール製のまま こちらはミゼットMPの歴代モデルを所有するオーナーだ。 「うちの家業が燃料屋だったので、父が毎日、炭や薪、そしてプロパンガスのボンベなどをミゼットで配達していました」と話してくれたように、子どもの頃から生活の中にあったミゼット。母親が運転していて横倒しになったが、ひとりでミゼットを起こして帰ってきたことがあり、「そんな簡単に引き起こせるんだ」と思ったことは強く覚えているという。
幼い頃からミゼットの存在が生活の中にあったオーナーが運転免許を取得。
その後、クルマの運転免許を取得し、社会人になってしばらくした頃、よくクルマで通っていた県道の道端に、ミゼットMP5の後期型が置いてあった。その寂しそうな姿がとても気になり、所有者を探して譲ってもらうことにした。これがミゼットと深くかかわるきっかけとなった。 「それが25年くらい前の話で、家に持ってきて修理を始めましたが、なかなかうまくいかない。自分でバラバラにしたところで結局諦めて、近所のクルマ屋さんに後は任せました(笑)」 直ってきたミゼットで、地元近くの旧車イベントに参加。そこで他のミゼットオーナーたちと知り合うことができて、ミゼットを集め始めることになるのだ。 その真骨頂とも言うべき出来事が、ミゼットMPAの輸入だった。59年4月から、ダイハツが輸出用左ハンドルの仕様で生産を開始したのが、MPAだった。2006年12月、ネットオークションを通じて、アメリカのカリフォルニア州のクルマ屋から、部品取り車と合わせて2台のMPAを購入した。翌07年2月に横浜の本牧ふ頭に到着し、通関後、オーナーは積載車を自ら運転して2台を引き取りに行った。「届いたときは、サビがたくさん出ていてボロボロの状態。荷箱も付いていませんでした。形になっていた青い方の個体は、整備してミゼット仲間に譲り、私は状態の悪いほうを再生することにしました」とフルレストアを敢行する。友人に譲った個体のボディから寸法取りして、荷箱も寸分違わぬかたちで再現。純正色のホワイトで新車当時の姿をよみがえらせたのだ。 >>1959年式ミゼットMPA。初の丸ハンドル仕様ミゼットで、アメリカでは小さくて小回りが利くピックアップとして、ピザの配達などで重宝がられた。この個体は2007年に山口さんが海を越えて購入したものだ。
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