「サブウェイ」再浮上なるか ベタ惚れしたワタミが全てを賭けるワケ
2010年代に伸び悩み 投資ファンドの下で再出発中のサブウェイ
そんな中でワタミが目を付けた、サブウェイの歴史を振り返ってみよう。創業は1965年、米国・コネチカット州にて。「ピートズ・スーパー・サブマリン」という、ロードサイドのサブマリン型サンドイッチ(細長いパンを潜水艦に見立てて具材を挟んだサンドイッチ)の店をオープンした。当初からカスタマイズ可能なつくり立てのサンドイッチを、手頃な価格で提供する趣旨の店だった。 創業者は当時17歳のフレッド・デルーカ氏と、彼の家族の友人だったピーター・バック氏。デルーカ氏の学費を調達するために開業したとされ、初期投資の1000ドルをバック氏が出資した。その後1968年にサブウェイに店名を変更し、店舗網を拡大。さらなる成長のためフランチャイズ(FC)店を展開し始め、この戦略が大成功した。 1981年に200店を達成すると、1984年にバーレーンで海外1号店を出店し、海外にも積極的に出店するように。1987年に1000店、1990年に5000店へと急拡大。現在は4万店近くを運営している。 順調に拡大してきたかに見えるが、サブウェイは2010年以降はあまり店舗数が伸びておらず、頭打ちの感がある。創業者のデルーカ氏は2015年に67歳で、バック氏は2021年に90歳で亡くなった。 2023年に米国の投資会社、ロアーク・キャピタルの傘下に入ったが、これは再度の成長を模索している段階に入ったとも受け取れる。そのタイミングで、日本ではワタミに声がかかった。ワタミの記者会見にはサブウェイのチッジーCEOも出席し、ともに日本のサブウェイ事業を飛躍的に発展させる方針だと力を込めて語った。
サントリーが運営も、手放した過去
日本にサブウェイが上陸したのは、1992年。1号店を東京の赤坂見附にオープンした。サントリーが子会社として日本サブウェイを設立し、米国本部とマスターフランチャイズ契約を結んで、しばらく米国式の商品とサービスで展開していたが、まだ時期尚早だった。自由にパンや野菜の量などを選べるスタイルが日本になじみがなく、パンの固さなどが受け入れられず、伸び悩んだ。 その後、1999年から日本人の好みに合ったしっとり感のあるパン生地を採用したり、日本独自のメニューを投入したりと、ローカライズ戦略を基に成長。最盛期の2014年には、国内で500店近くまで伸びた。にもかかわらず、また伸び悩むどころか不調に陥ってしまった。5年後の2019年末には200店ほどに半減している。 背景には、コンビニのサンドイッチやサラダメニューの拡大に加え、いわゆる「パワーサラダ」専門店の台頭、急成長で人材が育っていなかったためのサービス低下などがあったとされる。そのころサブウェイ本部は、海外店をマスターフランチャイズから直営へとシフトしていた。日本もサントリーホールディングスが2016年に、株式の65%を本部へと売却。2018年には残りも売却して、完全に手を引いた。 とはいえ日本から撤退まではいかず、新生・日本サブウェイはコロナ禍でさらなる不採算店の整理を進め、185店にまで減っていた。2023年には本部の経営が投資ファンドへと変わり、再び海外店をマスターフランチャイズに戻す動きが進む。過去3年、中国など20カ国以上でマスターフランチャイズ契約を締結。2024年の新規開店の40%以上がマスターフランチャイズ各社がオープンしており、サブウェイの成長エンジンとなっている。