資産運用より「投資される側」になれ、10万部突破した『きみのお金は誰のため』著者が語る「経済の捉え方」の深さ
お金は「働いてもらうチケット」、発行しても豊かにはならない
そもそもお金とは何でしょう。お金に価値があるなら、たくさん印刷すればいいし、暗号資産が増えれば世界は豊かになる。いろんな問題が解決できそうですが、果たして本当でしょうか。 もし無人島で生活するならお金は必要ありませんね。では、なぜ現代社会の生活では必要なのか。それは、「誰かに問題を解決してもらうため」です。お金は誰かに働いてほしいときに渡すチケットで、それ自体に価値はありません。しかし、私たちはお金に価値を感じてしまいます。 律令時代、「和同開珎」という銅銭が普及しました。かつて、国家プロジェクトに携わる労働者には銅銭が支払われていました。平城京の市(いち)では、米・布・銅銭で商品を購入できましたが、米や布が生活必需品であるのに対し、銅銭はなぜ価値があったのか。それは当時の税制度「租庸調」で銅銭が納税に使えたからです。 これではピンとこないかもしれませんね。例えばある家庭で、家庭内通貨「マルク」を発行するとします。子どもたちはスマホを見てばかりで家事を手伝いません。そこで、お父さん(中央銀行)が、“1マルク”と書いたカードを100枚作ります(紙幣)。お母さん(政府)は「100マルク借ります」と書いた借用書(国債)をお父さんに渡して100マルクを受け取ります。お母さんはある日、珍しく家事を手伝った子どもたちに3マルクずつ手渡します。この時点では、子どもたちは紙幣に価値を感じていません。 そこでお母さんは「これからは、お父さんもお母さんも家事をしない」、「毎日3マルク支払わないとスマホは使わせない」(強制力の伴う徴税)、「家事をすれば、給料をマルクで支払う」、「ご飯の支度で5マルク、洗濯で3マルク払う」(政府の給料)と宣言します。 この瞬間、マルクに価値が生まれるのです。やがて、子どもたち(民間)の間で発生する経済活動にもマルクが使われるようになり、皆が働いて支え合う社会が実現します。 ここで国について考えましょう。国が何かをつくるときは財源が必要なので、税金を集めなければなりません。通常、増税は国民の負担を増やすと考えられがちですが、例えば先ほどの家庭で、「ご飯の支度」(5マルク)の財源を増税で確保するのと、お金を借りる(国債の発行)のとでは、子どもたちはどちらがラクでしょうか。いずれにしろ子どもたちはご飯の支度をしなければならないので、結局負担は変わりません。実は、増税を避けて国債を発行しても、国民がラクできるわけではないのです。 財源が何であれ国民の負担(労働)は変わらないし、お金を貯めても働く人がいなければ生活はできません。まさしくお金は「誰かに働いてもらうチケット」に過ぎず、紙幣を発行しても生活が豊かになるわけではないのです。