明らかになってきた資本主義と民主主義の「限界」、このディストピアでも「幸せを感じられる」生き方
■ 資本主義の致命的欠陥 ここまで、民主主義に期待が持てなくなって来ている状況やその原因について考えてみたのですが、政治体制の問題以上に、経済体制の問題も大きいような気がしています。資本主義は民主主義とセットで語られることが多いわけですが、その資本主義も“限界”がどんどん露呈してきているように感じます。ひとことで言えば「格差の拡大」がその要因です。 日本だけでなく、世界各国で経済的格差が大きな問題になってきています。しかし、この格差について、世界はあまり有効な解を持ち合わせていません。産業革命によって資本主義が急拡大して以降、産業資本家(オーナー経営者)や蓄積した資本を再投資できる大土地所有者らの資産家とそれ以外の庶民の格差は急速に拡大していきました。 そんな中で、マルクスやエンゲルスらが資本主義へのアンチテーゼとして社会主義・共産主義を提唱しますが、それを取り入れた国々が1990年代になると経済的・国家運営的に次々と行き詰まり、崩壊していったのは記憶に新しいところです。私たちはその様子を見て、てっきり「民主主義・資本主義が勝利した」と思っていたわけですが、その後の資本主義世界を眺めると、格差の拡大が極めて激しくなっています。上位1%の層が富全体の3割も4割も支配するような状況で、人々が幸せになっているとはとても言えない有り様です。 そのように格差が激しくなる中で、トマ・ピケティのように資本主義が内包する経済的不平等を拡大するメカニズムを指摘する学者も現れました。ピケティは資本主義の歴史を踏まえ、利潤の方が経済成長より必ず上回るという事実を証明しています(いわゆるr>gの式)。要するに、持てる者の資産の伸びは金融投資などをしていく中で経済成長よりも必ず上回る、なので格差は必然的に拡大の方向に向かわざるを得ないというわけです。そういう不幸な立証がなされているにもかかわらず、資本主義陣営では有効な策が打てず、しかも民主主義下では「負け組」の方が数としては圧倒していて、不平不満が溜まって噴き出すわけで(権威主義国家では、それを力で抑え込んでいる)、資本主義・民主主義陣営では、社会が迷走しているわけです。 資本主義を違う角度から分析すると、基本的にこのメカニズムはマーケットとそこを巡るお金の話であり、そこには人間というファクターはほとんど入ってきません。つまり人間は疎外されるシステムなのです。実はこの人間疎外的な議論は、ずいぶん昔から指摘されていることで、20世紀の初めごろにはマックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、特に資本主義下では、人間性を阻害する合理主義・客観主義が突き詰められていくことで一種の官僚制が広がっていく世界を描き出しています(客観的で合理的なルールドリブンな世界)。つまり、資本主義は原理的には人間疎外なシステムであり、労働はすべからく間違いが少なく優秀なAIロボに取って代わってもらった方が良いわけで(技術的に可能であるならば)、ディストピア的性格を持っているのだと思います。 資本主義が発展していく中で、生まれた土地に縛り付けられるという共同体的世界から個人が離れて、都市などで産業資本家のもとでの労働者となっていく。そういう世界で、地縁や血縁といわば切り離される形でサラリーを得て一見自由を獲得し、人々は幸せになっていくのかと問われれば、マクロに見ると実は答えを躊躇せざるを得ない。そういう“事実”は、もう100年も昔から特に欧州では指摘されてきたわけですが、だからといって資本主義的世界を捨てて、過去の共同体的世界に戻るわけにもいかない。そうしてどんどん人間疎外が広がっていく――。 本当ならば資本主義に変わる経済システムを人類が見つけていけばいいのですが、そこまでには至っていない。そして人類はむしろ、過去に資本主義の限界がチラついてきたとき、本来なら資本主義と相いれないような仕組みを取り入れて対応してきました。たとえばマーケットメカニズムの下での解決は無理だとされる環境問題についても、SDGs運動やESG投資の促進などで、いわばマーケットにビルトインする形でカバーしようとしています。こうした取り組みはもちろん素晴らしいし、資本主義の中に人間的要素を取り入れていると評価することができますが、悪く言えば、本来は資本主義やマーケットに馴染まないようなことを、資本主義の中に無理やり取り込んで胡麻化そうとしているとも言えます。そのお陰で、すでに100年前から限界が見えつつある資本主義ですが、他に良い制度がないこともありますが、決して死に絶えることなく、したたかに生き残ってきています。 マルクスの再評価で有名な斎藤幸平さんのように、「成長至上主義にならざるを得ない資本主義そのものをもう一度見直したほうがいいんじゃないか」と大上段から切り込む論客も登場していますが、「さすがに成長しないとか、資本主義を否定するというのは行き過ぎ」という議論の方が現下の状況では優勢のように見えます。やはり世の中の大勢は、資本主義に馴染まなくても、人間にとって大事と思える要素は、いろんな仕組みを異形の姿であろうとも資本主義に取り込んで“しのいで”いきましょう、という方向でしか動いていません。悪く言うと絶望感漂う、生きづらい世界です。