「黒部ダムカレー」関西初登場 建設現場で愛されたもの継承
今いちど、黒部ダム誕生の物語へ
「黒部ダムカレー」関西初登場 建設現場で愛されたもの継承 撮影:岡村雅之 編集:柳曽文隆 THEPAGE大阪
国内最大級のアーチ式ダム黒部ダム(富山県立山町)をテーマにした「黒部ダムカレー」が関西地区のレストランに期間限定で初めて登場し、話題を呼んでいる。カレーに秘められた昭和の男たちの熱い思いが隠れたスパイスとなり、深いコクを醸し出す。今いちど、黒部ダム誕生の物語へ。 【拡大写真付き】職員食堂改装で登場「大阪府庁ライス」は話題になるか
料理長自慢の黒部ダムカレーが華麗なる競演
黒部ダムカレーが食べられるのは、黒部ダムを建設した関西電力のグループ会社である関電アメニックス(大阪市)が運営する関西のレストラン4店舗と、黒部ダムへの長野県側玄関口に当たる大町市のくろよんロイヤルホテル内レストランの計5店舗。黒部ダムカレーは早くから同ホテルの人気メニューに定着しており、今年初めて「黒部ダムカレーまつり」と銘打ち、今月30日までの期間限定で関西地区のレストランにもお目見えした。 関西のレストランは、大阪市北区の中之島プラザ内レストラン「アゴラシオン」をはじめ、エルイン京都内レストラン「舞」(京都市南区)、武庫ノ台ゴルフコース内「武庫ノ台カーディナル」(神戸市北区)、尼崎テクノランド内レストラン「コンパス」(兵庫県尼崎市)だ。「ご飯をダムのえん堤の形にする」「カレールーをダムの外側に流し込む」「カレールーの上に遊覧船に見立てたトッピングをあしらう」などの共通ルールの下、各店の料理長が独自のレシピと盛り付けでオリジナルカレーを創作した。 中之島プラザの「アゴラシオン」を訪ねた。テーブルに黒部ダムカレーが登場すると、心が浮き立つような華やかな衝撃を受けた。
建設現場の作業員たちを励ましたカレーライス
黒部ダムカレーの起源は昭和30年代までさかのぼることができる。関西電力は1951年(昭和26)設立。電力不足を解消するため、設立まもないながら社運をかけた大プロジェクトである黒部ダム建設に着手。しかし、57年(昭和32)、ダム建設の資材輸送路となる大町トンネル(現関電トンネル)の掘削工事で破砕帯に遭遇する。 建設作業員たちは大量の出水に見舞われながらの難工事を余儀なくされた。冷たい地下水との闘いの果てに宿舎へ引き揚げてくる作業員たちを出迎えたのが、手作りのカレーライスだった。ハンバーグなどの洋食が一般化していない昭和30年代。日本人にとって、カレーは最高級のご馳走のひとつだった。湯気の立つカレーは、酷寒の現場で凍えた体を温め、心に潤いを与えた。作業員たちは一皿のカレーで英気を養い、完成を夢見て厳しい作業に立ち向かう。 作業員たちの心のよりどころとなったカレーは、ダム完成後も忘れ去られることはなかった。大町クラブハウス(現くろよんロイヤルホテル)で「アーチカレー」として、観光客らに提供された。昭和40年代には扇沢駅大食堂(現扇沢レストハウス)にも登場して名物メニューになった。 2009年からは地元大町市の地域振興策の一環として、市内の複数店舗が黒部ダムカレーの販売を手掛ける。アーチ型の印象的なデザインと男たちの秘められたドラマが相まって、多くのファンを獲得。建設現場で供された「サラメシ」が半世紀を超えて受け継がれ、工夫を凝らしたご当地グルメに進化した上、知名度が全国的に高まりつつあるわけだ。