【出生数過去最低の衝撃】「人口8000万人社会」実現に必要な合計特殊出生率は?「人口ビジョン2100」を考える
文明問題としての少子化対策
現在の人口減少の源流は1974年にあった。この年に合計特殊出生率は人口を維持できる水準を割り込み、翌年からは2を下回るようになった。1973年10月に起きた第4次中東戦争によって発生した石油危機が直接のきっかけになったのは確かである。しかし人口に関する意識はもっと前から変わりつつあった。 1960年代の世界は途上国の高い出生率を背景に、世界人口が40億人に向かって増加する人口爆発の時代だった。人口増加と経済成長が食料不足、資源不足、環境破壊、公害を進行させているとの危機意識が強くなっていた。国連は1974年8月にルーマニアのブカレストで、人口増加を抑制するための人口行動計画をめぐって第3回世界人口会議を開くことになっていた。 日本ではそれに備えて、同年4月に厚生省の諮問機関である人口問題審議会が人口白書『日本人口の動向-静止人口をめざして-』を提出した。そこでは、副題に示されているように、出生率をさらに低下させて、人口が増えも減りもしない状態を実現すべきことが課題とされた。
日本人口は1967年に1億人を超えて増加を続けており、昭和100年(2025年)には1億4000万人(ミディアム推計)になると予想した。同時に、出生率を引き下げて人口純再生産率を0.96とすると(ミニマム推計)、昭和85年(2010年)まで人口は増加するが、以後は減少に転じることを示した。 1974年7月に民間諸団体が主催して「第1回日本人口会議」が開かれた。そこでは経済成長至上主義が極限に近いところまできていること、量的な拡大ではなく生活の質の向上を目指すべきことが指摘された。そして人口増加を抑え、静止人口を達成するために「子供は二人まで」という国民的合意を得るように努力することが宣言された。当時も産む自由、産まない自由を侵害してはならないという意見はあったが、人口爆発への懸念の方がまさったと言える。
半世紀続く課題に今、解決を
50年前の意識は、現在、世界で取り組んでいる「持続可能な開発」の源流となった。人口の推移も、ほぼ期待とおりに2008年をピークに恒常的な減少に転じた。ただし目標は静止人口の達成である。出生率を反転回復させて静止人口を実現することが、半世紀前から引き継いだ課題であるという視点を忘れてはならない。 人口を減少させ続けて滅亡に向かわせないように、人口が持続可能な社会を実現するとともに、化石エネルギー資源に基礎を置いた産業文明から、再生可能エネルギー資源への転換を図り、時代に見合った国土利用を実現するという文明史的な挑戦なのだ。
鬼頭宏