4度にわたり衝突「中東戦争」ってどんな戦争だった?
2011年3月に始まったシリアでの内戦は発生から3年を迎え、既に10万人以上の死者を出ています。シリア内戦だけでなく、イランの核開発疑惑など、中東は世界で最も不安定な地域ですが、その引き金になったのが中東戦争でした。中東戦争と、その現代までの影響を振り返ります。
パレスチナ問題が起源
中東戦争は、第一次(1948)、第二次(1956)、第三次(1967)、第四次(1973)の4度に渡って、イスラエルとアラブ諸国の間で発生した戦争です。大きな背景にあったのが、ユーラシア大陸とアフリカ大陸のつなぎ目にあるパレスチナの領有をめぐる「パレスチナ問題」で、そのポイントは以下の通りです。 ・およそ2000年前、古代ローマ帝国にこの地を追われたユダヤ人が、19世紀末から大挙して帰還し始めたこと、 ・ユダヤ人の数が多くなるにつれ、2000年の間にこの地に暮らすようになっていたアラブ人(パレスチナ人)との間で、宗教の違いや所得格差に基づく衝突が絶えなくなったこと、 ・1947年に国連で、両者で土地を分割することが決定されたこと、 ・その分割は、ナチス・ドイツによる虐殺への同情と、第二次世界大戦中の連合国に対する協力への配慮から、ユダヤ人たちに有利な内容(土地の約56パーセント)であったこと、 ・パレスチナ人やアラブ諸国が反対するなか、この分割決議に基づき、1948年にユダヤ人がイスラエルを建国したこと、です。
中東戦争の移り変わり
この背景のもと、周辺アラブ諸国は、同じくアラブ系イスラム教徒が多いパレスチナ人を支援して、4度に渡る中東戦争に突入。これに対して、国民皆兵制とアメリカからの援助のもと、イスラエルはいずれもアラブ諸国からの攻撃を撃退したのです。 しかし、中東戦争は回を重ねるごとに、複雑なものになっていきました。 まず、中東一の軍事大国になったイスラエルが、攻勢に転じたことです。特に第三次中東戦争では、1947年の国連決議でパレスチナ人のものとされたヨルダン河西岸地区とガザ地区を占領。その後、これらでユダヤ人の入植が始まりました。 イスラエル国内では、ユダヤ教保守派を中心に、パレスチナ全土の領有を主張する意見があります。しかし、国連決議に反するイスラエルの行為は、徐々に国際的な批判を受けるようになっていきました。 一方、アラブ諸国の温度差も浮き彫りになりました。中東戦争に一貫して参加したのはエジプトだけ。多くのアラブ諸国にとって、最終的に「外国」のパレスチナのために、軍事大国になったイスラエルと衝突することは、リスクの高いものでした。さらに、サウジアラビアなど大産油国にとって、イスラエルを支援するアメリカは最大の顧客。そのため、ほとんどのアラブ諸国は外交的非難にとどまるようになったのです。