平成事件史:戦後最大の総会屋事件(7) 「第一勧銀」と大物総会屋 「呪縛」はなぜ断ち切れなかったのか
しかし、特捜部は「う回融資」の形はとっているとは言え、事実上、第一勧銀本体がリスクを保証しているため、本体からの不正融資と判断して立件に踏み切った。のちに審査担当役員は特捜部の調べに対して、こう供述した。 「総会屋への融資は病巣だった。いつか整理解消しないといけないと考えていました」 明らかに不正だとわかっていても、誰も声を上げることはできなかった。サラリーマン重役や幹部の意識としては当然、会社の業務としてやっているため、同情の余地はあるが、本来は公平に判断されるべき大手都市銀行の融資が、総会屋の圧力に屈したのだ。 ■大物「総会屋」木島力也が死去 「吉兆会談」から1年後、小池への融資を食い止めるチャンスが再び巡ってくる。 1993年9月2日、小池のバックにいた木島力也が「肺ガン」で他界した。67歳だった。 このときを振り返り、第一勧銀の社内調査に対して複数の役員が「木島力也の死去をきっかけに小池への融資をやめることは可能だった」と答えている。逮捕されたある総務担当役員は特捜部の取り調べに対してこう話したという。 「木島は第一勧銀の歴代トップと親交がある政財界のフィクサーと聞いており、当時の宮崎会長と奥田頭取も頭が上がらないような、得体の知れない力を持った人でしたから、その木島が亡くなったことは、不謹慎な言い方かも知れませんが、第一勧銀の総務部にとっても、総務部担当常務であった私個人にとっても、かなり負担が軽くなったと思いました」 (読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」新潮社) 木島死去のあと、この役員は部下と今後の小池隆一への融資をどうするか、相談したというが「もし木島が亡くなったという理由で融資をやめたら、間違いなく小池を怒らせるだろう」という考えに至った。 さらにこう振り返る。 「宮崎会長と奥田頭取からはもちろん、審査担当役員からも、小池関連融資について“う回融資”を中止ないし縮小するようにとか、不良債権を回収するようにといった指示はまったくありませんでした」
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