年商約180億円『夢グループ』石田重廣社長、“愛人疑惑”の保科有里との本当のカンケイを語る
父親の“背中”が社員教育に生かされる
「それに、うちはみんな身体が大きいのに、車も頭をぶつけるような小さいのに我慢して乗っていてね。そんな父親をいつも“せこい”と思っていました」 しかしあるとき父親から、お金は子どもたちが望めば大学に行けるように計算して貯蓄していることを聞かされる。そのころはすぐに納得ができなかったというが、今その精神は社員教育に生かされている。 「父が言っていたように『給料の額は決まっているから、その中でやりくりするのはサラリーマンの役目で、倒産しないように頑張れば生活は保証されるから頑張ろう』といつも話しています。それが嫌だったら、会社を辞めて僕のように自分で起業するべきだ、とも」 倹約家の父を見て育ったからこそ、石田社長の独立心が育ったといっても過言ではないだろう。初めて“お金を稼いだ”のが借金であったとしても……。
次々クビになる仕事、そして独立へ
引っ越し後、さまざまな仕事に挑戦するが、順調にはいかない日々が続いた。中華レストラン、かまぼこ店、深夜の牛丼店、百科事典の訪問販売……まだ10代で世間知らず、さらに自己流の型破りな発想を持ち込んでしまい、どの仕事も数日でクビになる。 「本当にどの職場も僕をクビにするから、自分で何かを始めることを決心しました」 空き瓶回収から始まった“起業”は、何も知識のないところから地図制作請負業者として町内会の地図や看板を請け負うまでに至る。時には常識外れで周囲の人に怒られながらも信頼を勝ち取り、その仕事をきっかけに中国に縁を持つこととなる。 「お世話になった町内会の人が日中友好協会の副会長で、『これからは中国の時代だ』と紹介してもらって、中国の天津市に行ったことがありました。そのとき、中国には日本にはない面白いものがいっぱいあるんだということに気づいたんです。直接輸入はできないといわれましたが、郵便で送ることはできました。僕はおそらく日本で一番最初に個人輸入を行った人間だと思っています」 化粧品や健康食品を中心に、中国で仕入れたものを日本で売るビジネスが本格始動した。 一世を風靡した「痩せる海藻石鹸」や、「痩身クリーム」も取り扱っていたという。現地人に依頼をしてもなかなか思うように動いてくれないことから、自らが街を回り、雇っていたメイドさえも動員して限定の化粧品を仕入れるなど、自分でやれることはなんでもやった。 「毎日毎日リヤカーで街を駆けずり回って、商品を仕入れては日本に送るということを繰り返していました。そのときの会社は今自分がやっているもうひとつの通販会社『ユーコー』の前身です」 化粧品から仏像に至るまで、なんでも安く仕入れて喜ばれる値段で売った。現在の夢グループの「あったらいいな」という商品をどこよりもコストを抑えて製造し、お客様に喜ばれる値段で販売するというスタイルは、このころから変わっていない。