自転車BMXレーシングパリ五輪「金」榊原爽さんの母・由紀さん②…「最悪の事態覚悟した」兄のリハビリ励む姿、妹を変えた
スピードとパワー、テクニックが要求される自転車競技BMXレーシングでパリ五輪の金メダリストとなった榊原爽(さや)さん(25)。小学1年まで暮らした日本で競技と出会ったこともあり、オーストラリアに転居してからも、レースには日本選手として参戦してきた。 【画像】病室で昏睡状態の魁さんに本を読んで聞かせる爽さん(右)(2020年2月、オーストラリア・キャンベラで)=由紀さん提供
「気心の知れた日本チームのメンバーでいる方がきっと安心感があったんでしょう」 オーストラリアに戻ってきた時、母・由紀さん(57)は、爽さんと兄の魁(かい)さん(28)とある約束をした。 「兄妹同士や英国人の父親と会話する時は英語でもいいけれど、私にだけは日本語で話しかけること」
小学校の登校前には15分間、漢字ドリルに取り組ませ、毎年春には、日本総領事館まで国語の教科書をもらいに行って音読もさせた。 「せっかく身につけた日本文化を忘れてほしくなくて。努力のかいあって日常会話は今もなんとかこなせてますね」 17歳になり、レース出場時の国籍を正式に決めることを迫られた爽さんが選んだのは、オーストラリア。 「日本よりも圧倒的に練習環境が整っていることが決め手だったようです」 ハイスクールを卒業すると、爽さんは兄とヨーロッパやアメリカに遠征。世界の強豪と技を磨いた。 「完璧主義者の魁と、マイペースな爽。遠征先の手配もコーチ探しもスポンサーとの連絡も全て兄まかせで、爽はのんびりしていましたね」
2017年に兄妹でオセアニア選手権を制し、翌年には爽さんがワールドカップ(W杯)初優勝を飾った。東京で開催されるオリンピックに兄妹で出場する夢は、次第に現実味を帯びていった。 東京五輪の出場に向け、絶対に負けられない一戦で、魁さんに悲劇が起きた。 20年2月、オーストラリア東部シドニーで開かれたW杯第3戦。スピードを上げて2つめのカーブにさしかかった魁さんは、突然、風にあおられたようにバランスを崩して頭から転倒した。会場内のモニターでレースを見ていた由紀さんは、倒れた魁さんがピクリとも動かないのを見て、ただならぬ空気を感じた。 救護室で面会した息子は、ユニフォームを切られ、身体中が医療用の管につながれていた。 「呼びかけても返答はなく、最悪の事態も覚悟しなければと思いました。でも、泣いている場合じゃない。絶対に涙は流すまいと、その場で心に誓いました」 ドクターヘリに同乗し、搬送されたのは首都キャンベラの病院。「外傷性大脳半球損傷」により、右半身と言語を発する機能に障害を負っていた。医師からは「植物状態になるかもしれない」との宣告も受けた。それでも「ここで終わるヤツではない」と、由紀さんは努めて明るく振る舞った。 <指先がわずかに動いた><呼びかけに反応したよう>――。付き添える家族は1人だけだったため、病室に置かれたノートに代わる代わるメッセージを書き留めて、家族の気持ちをつないだ。爽さんもベッドの傍らで魁さんに話しかけたり、本を読み聞かせたりして回復を待ち続けた。