どんな曲でも奏でる魔法の音楽箱「ジュークボックス」が彩った昭和歌謡の時代
高校3年生の時だった。46年前、1978年(昭和53年)の春である。「人間ジュークボックス」を名乗って、地元のラジオ番組に電話出演したことがある。名前の理由は「リクエストしてもらった曲は何でも歌う」という"特技"だった。生放送の本番では、男性ディスクジョッキーが挙げた3曲をいずれも歌うことができて、面目躍如だった懐かしい思い出がある。
米国生まれの"音楽箱"
「ジュークボックス」をご存知だろうか。いわば"音楽の自動販売機"。時代や場所によって、その形は様々だが、筆者の記憶しているものは、高さ1m50cm、幅1m、奥行き70cmくらいの大きな箱型の機械だった。そして、その中に100枚以上もの沢山のレコード(ドーナツ盤)が収納されている。まさに、どんな曲でも披露する。もともとは19世紀末のアメリカで生まれ、戦後、進駐軍が日本に持ち込んだ。日本でも1960年代から国産の「ジュークボックス」が製造されるようになった。
こうやって曲を選んだ!
ボックスの表面はガラス張りで、そこには、番号と共に演奏可能な曲目がビッシリと並んで書かれていた。そこから自分の聴きたい曲を選んで、まずコインを入れる。例えば、「A―1」番とか「B-20」番とか、曲の番号のボタンを打ち込むと、箱の中に入っているレコードが機械の中でセットされる。レコード針が降りて曲の演奏が始まり、機械の下半分以上に備えられた大きなスピーカーから曲が流れ始めるのだ。お目見えした当初は1曲10円だったという記録があるが、記憶にあるのは「1曲50円」ほど、100円だと3曲選ぶことができてお得だった。
旅館の娯楽室での出会い
「ジュークボックス」のピークは1970年代で、旅館やホテルの娯楽室、ゲームセンター、ボウリング場、そしてスナックバーなど、多くの人が集う遊興施設に、必ず置かれていた。筆者の思い出にあるのは、愛知県の知多半島、新舞子海水浴場にあった「舞子館」という旅館の娯楽室である。卓球台やビリヤードと共に「ジュークボックス」が"どっしりと"存在感を発揮していた。海から戻って、娯楽室でくつろぐ時は、競って曲を選んだ。