どんな曲でも奏でる魔法の音楽箱「ジュークボックス」が彩った昭和歌謡の時代
自分が選んだ曲を披露
当時は、一般家庭にステレオが普及していなかったため、大きなスピーカーで好きな音楽を聴くことは大きな魅力だった。大迫力だった。娯楽室で過ごす時間のBGMとして、いろいろな曲を流した。とにかく「どんな曲でも選び放題」。それが魅力だった。さらに、聴きたい曲をひとりで聴くのではなく、自分が選んだ曲を周りにいる人にも聴かせるのである。何やら、自分が"歌番組の司会者"になったみたいな気分にもなった。
『恋の季節』も『経験』も
テレビやラジオでの新曲登場と同時に、レコードが発売されると、そんな新しい曲も「ジュークボックス」には、早々に導入された。新しい曲の場合は、曲目表も手書きになっていて、いかにも"急いで入れた"感じだった。昭和40年代、ピンキーとキラーズの『恋の季節』や、辺見マリさんのデビュー曲だった『経験』を早々に聴いたのも「ジュークボックス」だった。日本の歌謡史と共に「ジュークボックス」は歩んでいた。
姿を消すジュークボックス
そんな"魔法の音楽箱"も、時代の波と共に姿を消していく。有線放送のサービスが始まり、さらに、カラオケブームが到来した。家庭にもステレオなどの音響機器が広がって、わざわざ「ジュークボックス」で聴かなくても、それぞれの家で好きな音楽を"良き音で"楽しめるようになった。音楽は"個人のもの"へと加速していった。こうして「ジュークボックス」の数は、1980年代から一気に少なくなっていった。 2024年(令和6年)春。ラジオ番組の「記憶遺産」コーナーで、テーマとして「ジュークボックス」を紹介したが、目の前に座るパーソナリティは、46年前に若き「人間ジュークボックス」に対して、3曲をリクエストしてくれたディスクジョッキーだった。人の縁(えにし)というものは、かくも不思議なものである。「どんな曲でも歌います」そんな名づけの意味も、今や「ジュークボックスとは何か」という説明から必要になるほど、歳月が流れたということなのだろう。 【東西南北論説風(488) by CBCテレビ特別解説委員・北辻利寿】 ※『北辻利寿のニッポン記憶遺産』 昭和、平成、令和と時代が移りゆく中で、姿を消したもの、数が少なくなったもの、形を変えたもの、でも、心に留めておきたいものを、独自の視点で「ニッポン記憶遺産」として紹介するコラムです。 CBCラジオ『多田しげおの気分爽快!!~朝からP・O・N』内のコーナー(毎週水曜日)でもご紹介してきました。
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