「警察庁潜入は簡単だった」 国松警察庁長官狙撃事件を自白した秘密工作員の語った犯行の驚くべき一部始終
当時はまだ警備も厳重ではなく、受付で埼玉県警のOBを騙(かた)って、中に簡単に入ることができました。1~2階には自治省(筆者註・当時)も入っている雑居ビルだったので、チェックは緩いものにならざるを得なかったのでしょう。ちなみに出るときなどはノーチェックの状態でした。昼間、庁内のトイレにこもり、夜まで待って、始動。警備局長室や刑事局長室はカギがかかっていましたが、差込式の鍵(かぎ)穴があるレバー・タンブラー錠という旧式のタイプであり、用意したカギとピッキング道具でたやすく忍び込むことができました(筆者註・名張のアジトから、多数の合鍵やピッキング道具が発見、押収〈おうしゅう〉されている)。》
警察庁潜入
《警察庁に潜入した結果、分かったのは、警察ではほとんどオウムへの対策は講じられていないようで、ぬるま湯状態であることでした。この事実に私は驚き、愕然(がくぜん)としました。この諜報活動の副産物として、警備局長室で見つけたのが、警察庁幹部たちの住所や電話番号が記された、緊急連絡表でした。国松長官の住所は荒川区南千住となっていて、次長の関口氏は、確か目黒区となっていました。私はこれを、当時、市販されていた簡易複写機「写楽」で記録しました。 私は、ドヤ街などがあり、場末のイメージが強い下町の南千住などに高級官僚向けの警察官舎があるのだろうかと訝(いぶか)しく思って、3月初旬にその住所地に出かけてみました。すると、そこは官舎ではなく、大きくて立派なマンション群が建っており、まるでロサンゼルスにでもいるかのような錯覚にとらわれました。通用口の扉に仕掛けを行い、そこから中に入って部屋も確認しました。これで国松氏が官舎ではなく、自宅マンションに住んでいることを知ったのです。 そんな中、3月20日に地下鉄サリン事件が発生しました。その時点で、私と同志である「ハヤシ」は、先に述べた、ある謀略を思い立ち、すぐさま国松氏を暗殺すべく準備にとりかかったのです。ほぼ連日のようにアクロシティの下見を重ね、3月28日を決行日と決めました。逃走に使う自転車は、事前にハヤシの側が放置自転車を拾って用意したもので、27日までには、アクロシティAポートの地下駐輪場に置き、目印にカラーテープを貼っておきました。 その日は、視察を始めてから最も風の強い日でした。私たちは、私が狙撃の実行役、同志が後方支援役として、決行に臨んだのです。 すでにそれまでの偵察活動で、長官公用車は午前8時過ぎにアクロシティに到着すると、まずBポート東側のマンション敷地外周路で待機することが分かっていました。そして午前8時20分頃になると、国松長官が住むEポートの北側の周回路に移動するのです。そこで助手席に乗っていた秘書官が降車し、Eポートの植え込み周辺やエントランス内の集合ポストなどに何か異常はないか点検した後、Eポートの玄関付近で長官の出勤を待ちます。また、この公用車が到着する少し前に、警戒要員である2人の私服警官が乗った乗用車が現れ、Fポート寄りの北側周回路に停車して、警備にあたることも分かっていたのです。視察の結果、長官がエントランスから出てきて、公用車の左側後部ドアから乗車し、出発していくのはいつも午前8時30分頃であることが確認できていました。 しかし、長官公用車がアクロシティに到着するのを待っていた私は、不測の事態に直面しました。長官車両が、同じ黒色のプレジデントではあるのですが、ナンバーが変わっており、別のものに取り替えられていることが分かったのです。当時は新旧のナンバーを記憶し、記録もしていたのですが、現在、憶(おぼ)えているのは、替わる前のものが「品川33り××××」だったことだけです。 長官公用車が動き出したのを見て、そのまま私も狙撃地点としていたFポート東南角に移動し、Eポートの方を凝視していました。するとさらに想定外の異変が起こりました。2人のコートを着た中年男性が国松氏宅を訪れ、エントランスに出てきた国松氏らしき人物は彼らを見ると、そのまま一緒にマンションの中に戻っていってしまったのです。2人の男は雰囲気から、おそらく警察関係者であろうと思われました》