「安楽死」を求める人は本当に“死”を望んでいるのか? 緩和ケアに携わる看護師が見た患者のパラドックス
「安楽死」とは『三省堂国語辞典(第七版)』によれば、〈はげしいいたみに苦しみ、しかも助かる見こみのない病人を、本人の希望を入れて楽に死なせること〉とある。しかし近年では、「障害者を安楽死させるべきだ」と声高に叫ぶ殺人犯が現れ、著名脚本家が「社会の役に立てなくなったら安楽死で死にたい」と主張するなど、本来の言葉の意味と異なる使い方がなされているケースも多い。 その背景には、海外で安楽死が次々と合法化された国際的な流れや、日本国内の社会情勢の変化なども少なからず影響しているのかもしれない。一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事の児玉真美さんは、日本では安楽死の合法化について話す以前に、「まだまだ知るべきことが沢山あると気づいて」ほしいと話す。 この記事では、安楽死をめぐる国内外の動きや、揺れる言葉の定義について解説する。連載5回目は、安楽死を合法化した各国で重層的に起こっている「すべり坂」現象を紹介する。 ※ この記事は児玉真美さんの書籍『安楽死が合法の国で起こっていること』(筑摩書房)より一部抜粋・構成しています。
気がかりな「すべり坂」――線引きは動く
安楽死「先進国」の実態については、それぞれの国の内部からも「すべり坂」の懸念が指摘されている。 「すべり坂」とは生命倫理学の議論で使われる喩えで、ある方向に足を踏み出すと、そこは足元がすべりやすい坂道になっていて、一歩足をすべらせたら最後どこまでも歯止めなく転がり落ちていくイメージだ。安楽死をめぐる議論では主に、いったん合法化されれば対象者が歯止めなく広がっていくことを指すことが多い。 が、「すべり坂」はそれら「先進国」以外でも、また対象者の拡大以外にも多様な形態で重層的に起こっている。私がもっとも深刻な「すべり坂」だと考えるのは、安楽死が緩和ケアと混同されたり、緩和ケアの一端に位置付けられたりしていくことだ。
例外措置でなくなっていく安楽死
1995年に米国オレゴン州、2001年にオランダ、2002年にベルギーで相次いで合法化された当初、安楽死については、もはや救命がかなわない患者にどうしても緩和不能な耐えがたい苦痛がある場合の最後の例外的な救済措置という捉え方がされていた。しかも進んで「合法化」したというよりも、一定の条件によって際どい行為をする医師を免責し「非犯罪化」したという表現の方が厳密には正しい。 ところが安楽死が可能となる場所が地球上に増えていくにつれて、だんだんと安楽死は「例外的措置」とは見なされなくなっていく。 合法化当時は終末期の人に限定されていた対象者が合法化からわずか5年で非終末期の人へと拡がったカナダほどあからさまでないにせよ、他の国や州でも少しずつ安楽死が緩和ケアと混同されたり、緩和ケアの一端と捉えられたりしている観がある。 ベルギーの医療職を中心に9人が、安楽死をめぐって医療現場で何が起こっているかを詳述した共著が2021年に“Euthanasia: Searching for the Full Story: Experiences and Insights of Belgian Doctors and Nurses”(以下『Euthanasia』)として英訳された。 編者は、医師のティモシー・デヴォス。鳥取大学医学部の宗教学者である安藤泰至、小児緩和ケア医(西南女学院大学教授)の笹月桃子に児玉も参加して翻訳作業と補論の執筆がほとんど終わり、近く日本語版が刊行される見通しとなっている。 詳細は刊行後に読んでもらいたいのだけれど、この本の中で著者らがもっとも大きな懸念とともに繰り返し嘆いているのは、医療現場で安楽死と緩和ケアが混同されている実態である。 同書第1章「すべり坂症候群」の著者で、緩和ケアチームで長く働き、緩和ケアの教育にも携わってきた看護師、エリック・フェルメールは、2002年にオランダがベルギーの医師らに提供し始めた安楽死の研修講座が好評を博し、それが緩和ケアの技術研修を衰退させた結果、「緩和ケアの研修をろくに受けていない多くの医師は、身体的あるいは精神的な苦痛の症状が従来の治療では押さえられないと見るや、安楽死が唯一の解決策だと早々と結論を出した」と立腹している。 彼は緩和ケアの目的を「身体的、心理的な症状、家族関係に起因していたり、あるいはスピリチュアルな原因があったりする症状に対して、それぞれに応じた管理をすること」と定義し、「計画的に死へのプロセスを進める安楽死と緩和ケアとは明確に区別する必要がある」と主張する。