「安楽死」を求める人は本当に“死”を望んでいるのか? 緩和ケアに携わる看護師が見た患者のパラドックス
患者心理に潜むパラドックス
フェルメールが書いている、転移した乳癌でとても苦しんでいる女性のエピソードが印象深い。 朝食を運んで行ったフェルメールに女性は「死にたい」と訴えた。そして、そのすぐ後に「私のオレンジジュースにビタミンBは入れてくれたかしら?」と問うた。 人の心にはこんなパラドックスが潜んでいる。 フランスとベルギーで緩和ケアに携わってきた医師のリヴカ・カープラスも「安楽死は生を改善しない。安楽死は死を与えて生を終わらせるものだ」と、緩和ケアと区別する必要を説く。 安楽死を望む人は「生きるより死ぬ方がよいと言っているわけではなく、この状況下で生きているよりも死んだほうが良いと言っている」のであり「安楽死を求める人々が本当に死にたいと望んでいると思い込むことには、私たちは警戒しておく必要がある」からだ。 この本の著者らが繰り返し強調する安楽死と緩和ケアの違いをもっとも分かりやすく語っているのは、フランソワ・トルフィンによる第9章の以下のくだりだろう。なおトルフィンは、ベルギー国内ドイツ語圏の看護師組織の副会長である。 〈人生の終わりにいる人は、とても高い崖の端に立っている人のようなものです。下を見ると、海の波が岩に打ち寄せているのが見える。彼らは、自分がまもなく固い地面から海に入らなければならないことを知っています。 安楽死を求める人は、自分から飛び込む勇気はない。高すぎるし、どうやって下に降りればいいのかもわからない。そこで、医師に背中を押してもらい、飛び込むのを手伝ってもらうのです。緩和ケアでは、患者を崖から突き落とすのではなく、手を引いて海岸沿いの道を岸まで下りていくのです。 緩和ケアとは、時間をかけてその人に合った道を探し、その道をずっと一緒に歩いていくこと、そして、その道を一緒に歩くために必要な時間を、彼らの身近にいる最愛の人たちに与えることです。もちろん、急な坂道もありますが、用心深く慎重に歩みを進めることで、患者も家族も、安心して旅立てる海岸にたどり着けます。〉 私自身もこれまでの書き物において数々の「すべり坂」を指摘しながら、安楽死が緩和ケアと混同されることをもっとも深刻な「すべり坂」だと考えてきた。それによって医療専門職が患者や患者の苦しみと向き合う姿勢、ひいては医療のありようそのものが根本から変わってしまうことを恐れるからだ。
弁護士JP編集部